私のたのしみというのは、毎日、書斎でうずくまっていることらしい。やがてそこから人間がやってくるのに逢う。いまだにやって来ぬ人もいる。旅には、そのために出かけるようなものだ。
人間は、古代から「暮らし」のなかにいる。たとえ廃墟になっていて一塊の土くれしかなくても、その場所にしかない天があり、風のにおいがあるかぎり、かって構築されたすばらしい文化を見ることができるし、動きつづける風景を見ることができる。
人間という痛ましくもあり、しばしば滑稽で、まれに荘厳でもある自分自身を見つけるには、書斎での思案だけではどうにもならない。地域によって時代によってさまざまな変容を遂げている自分自身に出遭うには、山川草木のなかに分け入って、ともかくも立って見ねばならない。
「私にとっての旅」より抜粋
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