芭蕉が見た風景

末の松山 1689年5月9日
(陽暦6月25日)
2001.5.28取材
CAMEDIA E-100RS

matuyama-matuyama.jpg (235069 バイト)
末松山宝国寺の裏山にある末の松山
 それより野田の玉川沖の石を尋ぬ。末の松山は寺を造て末松山といふ。松のあひあひ皆墓はらにて、はねをかはし枝をつらぬる契の末も終はかくのごときと悲しさも増りて、塩がまの浦に入相のかねを聞。

 五月雨の空聊はれて、夕月夜幽に、籬が嶋もほど近し。蜑の小舟こぎつれて、肴わかつ声声に、つなでかなしもとよみけん心もしられて、いとゞ哀也。其夜、目盲法師の琵琶をならして奥上るりと云ものをかたる。平家にもあらず、舞にもあらず。ひなびたる調子うち上て、枕ちかうかしましけれど、さすがに辺土の遺風忘れざるものから、殊勝に覚らる。
「乾くまもなし」の沖の石。
matuyama-okinoisi.jpg (82584 バイト)野田の玉川はコンクリートで護岸され、親水公園となっている。

沖の石は、芭蕉が見たものとほとんど変わっていないと思われる。

末の松山の松は、樹齢450年。1550年頃に植えられたものであり、芭蕉がおとずれたときは樹齢140年だったことになる。

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