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等窮が宅を出て、五里計桧皮の宿を離れてあさか山有。路より近し。此あたり沼多し。かつみ刈比もやゝ
近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと人〃に尋侍れども、更知人なし。沼を尋、人にとひ、かつみ
かつみと尋ありきて日は山の端にかゝりぬ。二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見し、福嶋に宿る。

安積山公園の奥の細道文学碑。09/4/17
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黒塚の標柱と左に平兼盛の歌碑。 |

観世寺境内の岩屋。 |
おとずれたのは夕方で、観世
寺の拝観時刻を少し過ぎてい
た。お寺の奥さんにお願いし
て境内へ入れていただき、岩
屋と史料館を拝見した。
境内には、「涼しさや聞けば
昔は鬼の家」という正岡子規
の句碑もある。子規がおとず
れたのは明治26年夏だった。

奪衣婆像。 |
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あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て、忍ぶのさとに行。遥山陰の小里に石半土に埋てあり。里の童部の來
りて教ける。昔ハ此山の上に侍しを、往來の人の麥草をあらして、此石を試侍をにくみて、此谷につき落せ
ば、石の面下ざまにふしたりと云。さもあるべき事にや。
早苗とる手もとや昔しのぶ摺
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芭蕉が書いているように、
石の見物人が田畑を荒らし
たため農民が怒って石を突
き落とした。
明治時代になって掘り起こ
し、現在の場所に置かれた
とのことであるから、芭蕉
が見た場所も、見た石の表
面も現在とは違っていたが
まぎれもなく、芭蕉はこの
文知摺石を見ている。
平安時代には、模様のある
石の上に布をあて、草の葉
や茎を布に摺り込んで染め
たという。
←「早苗とる・・・」の
芭蕉句碑
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朝まだ暗い文知摺観音堂の境内に一条の光が射し込み、文知摺石が光を放った。

国見SA(下り線)の「早苗とる〜」の句碑。09/4/19 |