芭蕉が見た風景 しのぶの里 1689年5月2日
(陽暦6月18日)
2001.5.28 CAMEDIA E-100RS
2004.4.23 CAMEDIA E-100RS


 等窮が宅を出て、五里計桧皮の宿を離れてあさか山有。路より近し。此あたり沼多し。かつみ刈比もやゝ
近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと人〃に尋侍れども、更知人なし。沼を尋、人にとひ、かつみ
かつみと尋ありきて日は山の端にかゝりぬ。二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見し、福嶋に宿る。


安積山公園の奥の細道文学碑。2009/4/17
          


黒塚の標柱と左に平兼盛の歌碑。

観世寺境内の岩屋。
おとずれたのは夕方で、観世寺の拝観時刻を少し過ぎていた。お寺の奥さんにお願いして境内へ入れていただき、岩屋と史料館を拝見した。

境内には、「涼しさや聞けば昔は鬼の家」という正岡子規の句碑もある。子規がおとずれたのは明治26年夏だった。


奪衣婆像。

 あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋て、忍ぶのさとに行。遥山陰の小里に石半土に埋てあり。里の童部の來
りて教ける。昔ハ此山の上に侍しを、往來の人の麥草をあらして、此石を試侍をにくみて、此谷につき落せ
ば、石の面下ざまにふしたりと云。さもあるべき事にや。

  早苗とる手もとや昔しのぶ摺

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「早苗とる・・・」の芭蕉句碑。
芭蕉が書いているように、石の見物人が田畑を荒らしたため農民が怒って石を突き落とした。

明治時代になって掘り起こし、現在の場所に置かれたとのことであるから、芭蕉が見た場所も、見た石の表面も現在とは違っていたがまぎれもなく、芭蕉はこの文知摺石を見ている。

平安時代には、模様のある石の上に布をあて、草の葉や茎を布に摺り込んで染めたという。

朝まだ暗い文知摺観音堂の境内に一条の光が射し込み、文知摺石が光を放った。


国見SA(下り線)の「早苗とる〜」の句碑。2009/4/19

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