芭蕉が見た風景 奈呉の浦 1689年7月14日
(陽暦8月28日)
2003.5.17取材
CAMEDIA E-100RS

くろべ四十八が瀬とかや、数しらぬ川をわたりて、那古と云浦に出。擔篭の藤浪は春ならずとも、初秋の哀とふべきものをと、人に尋れば、是より五里いそ伝ひして、むかふの山陰にいり、蜑の苫ぶきかすかなれば、蘆の一夜の宿かすものあるまじと 、いひをどされて、かゞの国に入。

  わせの香や分入右は有磯海


放生津八幡宮裏手には「奈呉之浦」の標柱。

 
 
放生津八幡宮の句碑。

 
 北陸自動車道・有磯海SAレストラン前の句碑。

荒屋神社の文学碑 09/4/14

早稲の香句碑
   
都に遠き名所は世に忘らるゝものぞかし此越之國奈呉
は萬葉にも見えたる名所なり翁が書けるおくの細道に
も此所にてよめる一句ありそを後のしるしにせむと南
呉州が乞ふによりて筆をとる
    
    ときに大正三年八月五日 公爵二條基弘
    
早稻の香や 分け入る右は 有磯海


この句碑は富山県朝日町元屋敷の北陸本線の踏切を渡った先の左手にある。
「わせの香」の句は新湊あたりで詠まれたというのが定説であるが、芭蕉が越後から越中に入った時の感慨を込めて読んだいう考証をもとに、文政年間(1818年頃)にこの地に建てられたものである。おとずれた時は付近で熊が出たらしく、車以外では外出しないようにという看板が出ていて落ち着かない雰囲気の中で句碑を撮影した。10/10/24 *istD


[芭蕉が見た風景][次へ]