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路通も此みなとまで出むかひて、みのゝ国へと伴ふ。駒にたす
けられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬を
とばせて、如行が家に入集る。前川子荊口父子、其外したしき
人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び、且
いたはる。旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、
伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて
蛤のふたみにわかれ行秋ぞ

奥の細道むすびの地に建つ芭蕉と俳友木因の像。
旅立つ芭蕉を木因が見送っているのであろう。 |

水門川の景観。
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1995年5月、東北地方へ西洋館などの撮影に出かけた帰りに大垣に立ち寄った。朝、市内のホテルを出て、
奥の細道むすびの地付近に車を止めていると、散歩をしているおじいちゃんが、「九州からですか、戦時中、
太刀洗(たちあらい)の航空隊にいました」となつかしそうな表情で話しかけてきた。大垣と言えば、芭蕉よ
りも、なぜかこのおじいちゃんのことが強く印象に残っている。
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送別連句塚。文字は芭蕉の書簡を拡大したもの。 |

貝殻橋の親柱。 |

船町道標は1820年頃の建立。 |
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