芭蕉が見た風景 大垣  1689年8月21日
(陽暦10月4日)
1995.5.7
2004.5.1
 

路通も此みなとまで出むかひて、みのゝ国へと伴ふ。駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。前川子荊口父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び、且いたはる。旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて

  蛤のふたみにわかれ行秋ぞ


奥の細道むすびの地に建つ芭蕉と俳友木因の像。
旅立つ芭蕉を木因が見送っているのであろう。

 oogaki-kawa.jpg (163815 バイト)
 水門川の景観。


1995年5月、東北地方へ西洋館などの撮影に出かけた帰りに大垣に立ち寄った。
朝、市内のホテルを出て、奥の細道むすびの地付近に車を止めていると、散歩をしているおじいちゃんが、
「九州からですか、戦時中、太刀洗(たちあらい)の航空隊にいました」となつかしそうな表情で話しかけてきた。
大垣と言えば、芭蕉よりも、なぜかこのおじいちゃんのことが強く印象に残っている。
   

送別連句塚。文字は芭蕉の書簡を拡大したもの。

貝殻橋の親柱。

船町道標は1820年頃の建立。
    
結びの地から500mほど西に正覚寺があり、
その墓地に、翁塚としては最古の芭蕉塚がある。
塚の周りにはたくさんの句碑が並んでいる。2012/10/14


    
久しぶりに立ち寄ってみると、福祉会館1階にあった「奥の細道結びの地記念館」が結びの地の前に新築されていた。
2012年4月に開館したそうだ。
       

記念館では秋の芭蕉祭が行われていた。

結びの地にレプリカがある本物の伊勢道標。


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