かの畫圖にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に十符の菅有。今も
年々十符の菅菰を調て、國守に獻ずと云り。
壷碑 市川村多賀城に有。
つぼの石ぶみは高さ六尺餘、横三尺斗歟、苔を穿て文字幽也。四維國界
之數里をしるす。「此城、神龜元年、按察使鎭守府將軍大野朝臣東人之所
里也。天平寶字六年、參議東海東山節度使同將軍惠美朝臣・修造而、十二
月朔日」と有。聖武皇帝の御時に當れり。むかしよりよみ置る哥枕、おほ
く語傳ふといへども、山崩川流て、道あらたまり、石は埋て土にかくれ、
木は老て若木にかはれば、時移り代變じて、其跡たしかならぬ事のみを、
爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存
命の悦び、覊旅の勞をわすれて、泪も落るばかり也。
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「おくの細道の山際に十符の菅有」
と、奥の細の名の由来となった場所
が仙台市岩切にある。
曾良の日記などの文献を手がかりに、
そこが、旧塩釜街道の東光寺から西
へ約500mの道筋であろう、と推
定されている。付近を歩いてみたが、
昔をしのぶよすがはなかった。
壷の碑をたずねるのも久しぶりだっ
た。すぐそばでは、今も発掘調査が
行われていた。
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