芭蕉が見た風景 山中 1689年7月27日
(陽暦9月10日)
03.5.18取材
CAMEDIA E-100RS
 


温泉に浴す。其功有明に次と云。

  山中や菊はたおらぬ湯の匂

あるじとする物は、久米之助とて、いまだ小童也。かれが父誹諧を好み、洛の貞室、若輩のむかし、爰に来たりし比、風雅に辱しめられて、洛に帰て貞徳の門人となつて 、世にしらる。功名の後、此一村、判司の料を請ずと云。今更むかし語とはなりぬ。

曾良は腹を病て、伊勢の国、長島と云所にゆかりあれば、先立て行に、

  ゆきゆきてたふれ伏とも萩の原  曾良

と書置たり。行くものゝ悲しみ、残るものゝうらみ、隻鳧のわかれて雲にまよふがごとし。予も又、

  今日よりや書付消さん笠の露



山中温泉で芭蕉が泊った和泉屋跡にたつ記念碑。


 

 
 かつては、総湯と呼ばれていた共同浴場跡にたつ菊の湯。
 芭蕉は山中温泉の和泉屋に9日間泊ったが、総湯は和泉
 屋の向かいにあった。
 

大聖寺川鶴仙渓にたつ「やまなかや」の文久3年の句碑。

「卯辰集」所収の「かゞり火に河鹿や波の下むせび」

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