文学散歩

高村光太郎『知恵子抄』

智恵子生家、鞍石山を歩く。
09/4/18  EOS 5D


福島県二本松市の智恵子生家。
   

高村光太郎の「智恵子抄」が刊行されたのは昭和16年(1941)であるが、智恵子は昭和13年にすでに病没していた。

光太郎と長沼智恵子が出会ったのは大正元年(1912)、光太郎30歳、智恵子27歳で、この年から「智恵子抄」の詩作が始まった。二人が結婚したのが大正3年(1914)、結婚生活は穏やかなものであったかどうか定かではないが、智恵子に精神的な障害が出たのが昭和6年(1931)、闘病生活のはじまりだった。

「知恵子抄」で親しんでいるのは、「あれが
阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」の「樹下の二人」、「智恵子は東京に空が無いという」の「あどけない話」、「そんなにもあなたはレモンを待ってゐた」の「レモン哀歌」くらいであるが、以前から、智恵子が生まれた所を訪ねてみたいと思っていた。

福島県二本松市の智恵子生家裏には智恵子記念館があり、光太郎と智恵子が登ったという鞍石山がある。
 

鞍石山山頂から安達太良山を見る。右手は「樹下の二人」詩碑。桜が満開のときに来たかった。
鞍石山は智恵子の杜公園として整備されていて、知恵子記念館裏手から遊歩道が整備されている。 


熊野神社の熊野大神の碑。
智恵子の筆跡を使って造られた。

「道程」詩碑。


僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

「樹下の二人」詩碑。

   
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫(さかぐら)。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国(きたぐに)の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。



 

安達太良山。

町並みの向こうに阿武隈川が光っているのが少し見える。


あどけない話

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。




   


レモン哀歌

そんなにもあなたはレモンを待ってゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう


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