文学散歩

島崎藤村『千曲川のスケッチ』

『千曲川のスケッチ』ゆかりの地をたずねる。
2017/10/27 PENTAX K-5Us/16-85
 


藤村記念館の展示物の中で唯一撮影を許可されているのがこのポスター。
係の女性にどこから撮影したものかたずねると、「小諸大橋からです」


藤村記念館。


記念館前の藤村像。

樹さん、君のお父さんも最早(もう)居ない人だし、私の妻も居ない。
私が山から下りて来てから今日までの月日は君や私の生活のさまを変えた。
しかし七年間の小諸生活は私に取って一生忘れることの出来ないものだ。
今でも私は千曲川の川上から川下までを生々(いきいき)と眼の前に見ることが出来る。
あの浅間のの岩石の多い傾斜のところに身を置くような気がする。あの土のにおいをぐような気がする。
私がつぎつぎに公けにした「破戒」、「緑葉集」、それから「藤村集」と「家」の一部、最近の短篇なぞ、私の書いたものを
よく読んでいてくれる君は何程私があの山の上から深い感化を受けたかを知らるるであろうと思う。
この作品の「序」は、友人の吉村樹(しげる)さんへ呼びかける形式をとっている。

■小諸義塾跡
私達の教員室は旧士族の屋敷跡に近くて、松林を隔てて深い谷底を流れる千曲川の音を聞くことが出来る。
その部屋はある教室の階上にあたって、一方に幹事室、一方に校長室と接して、二階の一隅を占めている。
窓は四つある。その一方の窓からは、群立した松林、校長の家の草屋根などが見える。一方の窓からは、起伏した浅い谷、桑畠、竹藪などが見える。
遠い山々の一部分も望まれる。


小諸義塾記念館。小諸義塾跡のすぐ近くに、校舎本館が移築復元されている。


記念館のとなりにある「惜別の歌」詩碑。筆者の大好きな詩のひとつ。

■懐古園
一週間前、私は昼の弁当を食った後、四五人の学生と一緒に懐古園へ行って見た。荒廃した、高い石垣の間は、新緑で埋れていた。
今はきれいに整備されているが、当時は荒れていて石垣も草茫々だったようだ。

懐古園内の藤、木蘭(もくれん)、躑躅(つつじ)、牡丹なぞは一時花と花とが映り合って盛んな香気を発したが、今では最早濃い新緑の香に変って了った。
千曲川は天主台の上まで登らなければ見られない。谷の深さは、それだけでも想像されよう。


小諸城三の門。


「千曲川旅情のうた」の詩碑。


藤村詩碑の先にある水の手展望台から見た千曲川。

■中棚(なかだな)温泉・水明楼
八月のはじめ、私はこの谷の一つを横ぎって、中棚の方へ出掛けた。私の足はよく其方へ向いた。
そこには鉱泉があるばかりでなく、家から歩いて行くには丁度頃合の距離にあったから。
中棚の附近には豊かな耕地も多い。ある崖の上まで行くと、傾斜の中腹に小ぢんまりとした校長の別荘がある。
その下に温泉場の旗が見える。林檎畠が見える。千曲川はその向を流れている。

この温泉から石垣について坂道を上ると、そこに校長の別荘の門がある。楼の名を水明楼としてある。
この建物はもと先生の書斎で、士族屋敷の方にあったのを、ここへ移して住まわれるようにしたものだ。
閑雅な小楼で、崖に倚って眺望の好い位置に在る。

水明楼へ来る度に、私は先生の好く整理した書斎を見るのを楽みにする。
そればかりではない、千曲川の眺望はその楼上の欄に倚りながら恣に賞することが出来る。
対岸に煙の見えるのは大久保村だ。その下に見える釣橋が戻り橋だ。
川向から聞える朝々の鶏の鳴声、毎晩農村に点く灯の色、種々思いやられる。


中棚温泉。中棚荘という高級和風旅館がある。


中棚温泉の坂を少し登ると「水明楼への散歩道」の石段がある。


水明楼を上から見る。下に玄関がある。水明楼は、小諸義塾の塾長・木村熊二の書斎。


水明楼の内部。無料で公開されている。


水明楼の下に中棚荘がある。

■光岳寺
光岳寺の暮鐘が響き渡った。
浅間も次第に暮れ、紫色に夕映(ううばえ)した山々は何時しか暗い鉛色と成って、(ただ)白い煙のみが暗紫色の空に望まれた。
急に野面(のら)がパッと明るく成ったかと思うと、復た響き渡る鐘の音を聞いた。
私の側には、青々とした菜を(しょ)って帰って行く子供もあり、男とも女とも後姿の分らないようなのが足速(あしはや)に岡の道を下って行くもあり、
そうかと思うと、上着(うわっぱり)のまま細帯も締めないで、まるで帯とけひろげのように見える荒くれた女が野獣(けもの)のように走って行くのもあった。
ここの描写は今では想像するのがむつかしい。まだのが広がっていたころの風景である。
夕暮れ時に今でも、光岳寺の鐘がつかれるかどうか分からないが、その鐘が見たくて立ち寄った。


北国街道に面して元小諸城足柄門が移築されている。


楼門と鐘楼。

■揚羽屋
私は外出した序に時々立寄って焚火にあてて貰う家がある。鹿島神社の横手に、一ぜんめし、御休処、揚羽屋とした看板の出してあるのがそれだ。私が自分の家から、この一ぜんめし屋まで行く間には大分知った顔に逢う。

三の門という古い城門のみが残った大手の通へ出ると、紺暖簾を軒先に掛けた染物屋の人達が居る。それを右に見て鹿島神社の方へ行けば、按摩を渡世にする頭を円めた盲人が居る。駒鳥だの瑠璃だのその他小鳥が籠の中で囀っている間から、人の好さそうな顔を出す鳥屋の隠居が居る。

その先に一ぜんめしの揚羽屋がある。揚羽屋では豆腐を造るから、服装に関わず働く内儀さんがよく荷を担いで、襦袢の袖で顔の汗を拭き拭き町を売って歩く。

一ぜんめし揚羽屋は2012年1月に閉店した。外観だけ見ると閉店から5年以上が経過しているようには見えない。

藤村が書いたという店の看板は、藤村記念館に保存されていたが、館内は撮影禁止だった。

  


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