文学散歩

中原中也を歩く

中原中也情報→中原中也記念館

中原中也略歴
1907
(明治40)、山口生まれ。
1920(大正9)山口中学校入学。『防長新聞』に短歌を投稿し入選。
1922年、16歳、佐川紅萩・吉田緒佐夢と歌集『末黒野』を刊行。
1923
年、山口中学校を落第し立命館中学校へ編入学、富永太郎・小林秀雄を知る。
1926(昭和)、20歳、日本大学予科文科へ入学するが中途退学。
1929年、河上徹太郎・大岡昇平・阿部六郎・富永次郎・古谷綱武などと 『白痴群』
           創刊、第6号まで続く。
1931年、25歳、東京外国語学校専修科仏語部入学。
1932年、詩集『山羊の歌』の編集に着手するが資金不足で刊行できず。
1933年、東京外国語学校専修科終了。この時期、『四季』・『紀元』・『半仙戯』等に
           寄稿、翻訳『ランボオ学校時代の詩』
(三笠書房)刊行。
1934年、28歳、処女詩集『山羊の歌』(文圃堂)刊行。
1935年、『歴程』・『四季』に同人参加。
1936年、訳詩集『ランボオ詩抄』(山本書店)刊行。
1937年(昭和12)31歳、ノイローゼのため千葉の中村古峡療養所入院、退院後鎌倉
           に静養するが、帰郷を決意し、詩集『在りし日の歌』を小林秀雄に託す。

      10
月結核性脳膜炎発病、死去。訳詩集『ランボオ詩集』(野田書房)刊行。
1938年、『在りし日の歌』(創元社)刊行


中原中也記念館の入館券


07/4/29 中原中也生誕百年記念ヘッドマークのやまぐち号 
画像提供:広島県呉市・松尾茂さん
   
●中原中也生家跡 08/1/8

中也の生家・中原病院の建物は昭和47年(1962)に火事で消失した。玄関先にあったイブキの木は焼失を免れた。昭和59年(1984)に、イブキの木の下に中原中也誕生之地の碑が建てられた。そして平成6年(1996)、生家跡に中原中也記念館が開館した。
 
 記念館の庭には線路の枕木が敷かれている。
   
生家跡前の道は湯の町通り。マンホールの蓋に「湯田温泉物語」が描かれている。
   
●湯田温泉駅 08/1/8
湯田温泉駅は中也が利用した駅である。
中也の生家から湯田温泉駅までは約700m。
駅前には、湯田温泉を白狐が発見したと
いう伝説に基づいて、巨大な狐の像が建
てられている。

戦後間もなく湯田をたずねた大岡昇平氏は次のように書いている。当時は湯田駅。

昭和二十二年一月の或る朝、私は山口線湯田の駅に降りた。

小郡で満員の山陽線を捨て、支線の列車が緩やかに椹野川の小さな谷に入って行くにつれ、私は名状しがたい歓喜を覚えた。それは不眠に疲れた私の眼に、窓外の朝の光の中を移る美しい谷間の景色の与える効果であったか、それとも亡友中原中也の故郷の家を見るのが、あと一時間に迫ったという期待から来る興奮であったか、私にはわからなかった。

私がこれから訪ねようとする家は、この友が生きていた間は訪れようとはしなかった家である。東京から山口までの距離は別としても、中原と私との交友は、そもそも互いに過去を気にかけるという性質のものではなかった。我々は二十歳の頃東京で識り合った文学上の友達であった。我々はもっばら未来をいかに生き、いかに書くかを論じていた。そして最後に私が彼に反いたのは、彼が私に自分と同じように不幸になれと命じたからであった。

駅前から人家疎らな畑中の道の二丁ばかり西へ行くと早くも温泉旅館の並ぶ一席に突当る。通行人に訊くとすぐわかった。その一廓の右へ迂回して少し行ったところに、私は容易に中原病院の看板を見出すことができた。中原家は中也の祖父の代からこの地に外科医を開業していた。昭和三年父君謙助氏の没後、長男中也に家業を継ぐ意志がなかったため、以来病院は他に貸していたが、私の行った時は次々弟呉郎君が成長して末弟拾郎君と共に経営に当っておられた。

病院は低い生垣の向うの前庭に疎らに庭木を配した、むしろ殺風景な木造平家の洋館である。これに中原病院ではなく「農事試験場」の看板が懸っていても私はさして驚かなかったであろう。それほどこの建物の正面は、普通の医院の入口の持つ威厳も愛嬌も具えていなかった。惟うにもと軍医であった父君謙助氏は、その病院を市民的虚飾で飾る必要を認められなかったのであろう。こうした投げやりな無雑作な外観も私には何となく中原にふさわしいように思われた。

湯田温泉ウォチング

老舗旅館「松田屋」

足湯の湯口

地酒屋
   
●旧制山口中学校跡 08/1/8

中也が通学した旧制山口中学校は県立美術館の真向かいにあった。
最後の卒業生が建てた山中健児の碑がむこうに見えている。

かつて山口線を走っていたS
Lが近くに保存されている。
夏の日の歌

青い空は動かない、
雲片(ぎれ)一つあるでない。
  夏の真昼の静かには
  タールの光も清くなる。

夏の空には何かがある、
いぢらしく思はせる何かがある、
  焦げて図太い向日葵が
  田舎の駅には咲いてゐる。

上手に子供を育てゆく、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  山の近くを走る時。

山の近くを走りながら、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  夏の真昼の暑い時。
   
●権現山 08/1/8
権現山は標高40mほどの山で、熊野神社があり熊野権現が祀ら
れている。中也は、学校をサボって権現山に登り、市街地をなが
めていた。後に、息子の文也を連れて、権現山へ散歩に来ていた
という。

権現山の石段は約130段、山頂には広場があり、広場の奥に社
が建っている。今は木が伸びて展望はあまりよくないが、中也の
ころは見晴らしがよかったのではないだろうか。


山上のひととき

いとしい者の上に風が吹き
私の上にも風が吹いた

いとしい者はたゞ無邪気に笑つてをり
世間はたゞ遥か彼方で荒れくれてゐた

いとしい者の上に風が吹き
私の上にも風が吹いた

私は手で風を追ひのけるかに
わづかに微笑み返すのだつた

いとしい者はたゞ無邪気に笑つてをり
世間はたゞ遥か彼方で荒くれてゐた

山上とは権現山のことだろうか、
いとしき者とは文也のことだろうか。
何と慈愛に満ちたやさしい詩だろうか。
 
   
●吉敷(よしき) 08/1/8

吉敷川、別名水無川を吉敷大橋から見る。

一つのメルヘン

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

陽といつても、まるで硅石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました
……


中原家は明治維新までは吉敷にあったので、中也が眠る墓所も吉敷にある。
中原家累代之墓の文字は中也が中学2年のときに書いたもの。
墓所のすぐ近くに吉敷川が流れている。
「一つのメルヘン」と「蝉」は吉敷川を題材としている。




蝉が鳴いてゐる、蝉が鳴いてゐる
蝉が鳴いてゐるほかになんにもない!
うつらうつらと僕はする
……風もある……
松林を透いて空が見える
うつらうつらと僕はする。

『いいや、さうぢゃない、さうぢゃない!』と彼が云ふ
『ちがつてゐるよ』と僕が云ふ
『いいや、いいや!』と彼が云ふ
「ちがつてゐるよ』と僕が云ふ
と、目が覚める、と、彼はとつくに死んだ奴なんだ
それから彼の永眠してゐる、墓場のことなぞ目に浮ぶ……

それは中国のとある田舎の、水無河原(みづなしがはら)といふ
雨の日のほか水のない
伝説付の川のほとり、
藪蔭の土砂帯の小さな墓場、
――そこにも蝉は鳴いてゐるだろ
チラチラ夕陽も射してゐるだろ……

蝉が鳴いてゐる、蝉が鳴いてゐる
蝉が鳴いてゐるほかなんにもない!
僕の怠惰? 僕は『怠惰』か?
僕は僕を何とも思はぬ!
蝉が鳴いてゐる、蝉が鳴いてゐる
蝉が鳴いてゐるほかなんにもない!

   
   
●高田公園と錦川通りの詩碑 08/1/8
高田公園の詩碑は「帰郷」一節で、小林秀雄の字、右側面の碑文は大岡昇平。昭和40年(1965)の除幕式には母フクも出席した。

記念館に展示されている小林秀雄の「帰郷」の色紙。
   
旅館やホテルが並ぶ錦川通りに、中也直筆の「童謡」の詩碑がある。

しののめの
よるのうみにて
汽笛鳴る。

こころよ
起きよ
目を醒ませ。

しののめの
よるのうみにて
汽笛鳴る。

象の目玉の
汽笛鳴る。


中也が昭和8年(1933)に結婚式を挙げた旅館「西村屋」
   
●冬の長門峡 08/1/2

中也がよく来ていたという料亭
「洗心館」横にたっている詩碑。
長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰(あたか)も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑(みかん)の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。

あゝ!  ――そのやうな時もありき、
寒い寒い 日なりき。

 
    

洗心館。左手の道が長門峡の遊歩道。
09/2/12

道の駅「長門峡」の入口に保存されている洗心橋の親柱。09/2/12
    
中也が降り立った長門峡駅、この日は大雪だった。長門峡駅は湯田温泉駅から6つ目の駅で、列車で約40分かかる。


洗心館は長門峡の入口にあるが、洗心館付近からはこのような風景が見える。30分くらい歩くと長門峡らしい風景となる。
   
●鳴滝の詩碑 07/11/10  鳴滝への入口に「悲しき朝」の詩碑がある。
河瀬(かわせ)の音が山に来る、
春の光は、石のやうだ。
筧(かけひ)の水は、物語る。
白髪(しらが)の嫗(おうな)にさも肖(に)てる。

雲母(きらら)の口して歌つたよ、
背(うし)ろに倒れ、歌つたよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いはほ)の上の、綱渡り。

知れざる炎、空にゆき!

響の雨は、濡れ冠る!

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

われかにかくに手を拍く……


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