文学散歩

文人が愛した城崎

城崎温泉に文人の足跡をたずねる。
06/10/20 *istD


城崎を有名にした文学作品は、志賀直哉の『城崎にて』である。

山手線の電車にはねられ、その養生のために志賀直哉が城崎温泉に滞在したのは30歳のとき、大正2年10月18日から11月7日の3週間ほどである。

ここでの体験が、のちに、『城崎にて』(大正6年)や『暗夜行路』(大正10年)を生んだ。

城崎にはたくさんの文人がおとずれていて、20数か所に文学碑がある。その中から、城崎の中心部にある文学碑をたずねた。


城崎文芸館





 
   

駅前にある島崎藤村『山陰土産』の碑。「――大阪
より城崎へ」「朝曇りのした空もまだすゞしいうち
に大阪の宿を発つたのは、七月の八日であつた。」
藤村が城崎をおとずれたのは昭和2年7月。
   

駅を背にして右手、「さとの湯」の前に、
与謝野寛(鉄幹)の歌が書かれた木製の碑がある。
 手ぬぐいを 下げて外湯に行く朝の 旅の心を駒げたの音
鉄幹と晶子夫妻がおとずれたのは昭和5年5月。
   

   

地蔵湯前の白鳥省吾のおもしろい形の詩碑。
 雪の城の崎 あの子の髪に 溶ける淡雪 わがこころ

城崎文芸館前の『城崎にて』の碑。
「……怪我をした、其後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。……兎に
角要心は肝要だからといはれて、それで来た。……」

「彼方の、路へ差し出した桑の枝で、或一つの葉だけがヒラヒラヒラヒラ、同
じリズムで動いてゐる。風もなく流れの他は総て静寂の中にその葉だけがいつ
までもヒラヒラヒラヒラと怪しく動くのが見えた。」
   

一の湯近くの与謝野寛・晶子夫妻の自筆の歌碑。
 ひと夜のみ ねて城の崎の湯の香にも
  清くほのかに 染むこヽろかな
 日没を 円山川に 見てもなほ 未明めきたり 城の崎くれば



御所の湯近くの西村屋旅館。武者小路実篤などが宿泊したという。

志賀直哉が宿泊した三木屋
「城崎では彼は三木屋といふのに宿つた。俥で見て来た町の如何にも温泉場らしい情緒が彼を楽しませた。」〜『暗夜行路』より


一の湯の向かいにあるゆとうや旅館
島崎藤村、有島武郎、白鳥省吾、吉井勇らが宿泊している。


つたや旅館は桂小五郎潜居の宿で、司馬遼太郎は、昭和38年、『竜馬が行く』の取材でここに宿泊した。

<旅館の前に立つ司馬遼太郎の碑の文章>


まんだら湯の説明板前に吉井勇の歌碑。昭和8年か9年の作。
 曼陀羅湯の名さえかしこし
 ありがたき仏の慈悲に
 浴むとおもえば

往昔、当地は但馬國城崎郡湯島村といい、畿内貴顕の湯治場であった。
桂小五郎、蛤御門の変ののち遁れてここに潜み、当館にて主人母娘の世話を受けたという。司馬遼太郎記


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