文学散歩

松本清張『球形の荒野

小説の舞台・奈良をたずねる。

野上顕一郎にとって、地球上はどこも球形の荒野だった。
戦争と平和を主題として描かれたこの長編は、「もはや戦後ではない」といわれた昭和30年代の1960年に発表された。
芦村節子は、奈良の唐招提寺の芳名帳に、亡き叔父野上顕一郎の筆跡によく似た「田中孝一」という署名を見つける。
同じ筆跡は、飛鳥の安居院でも見つかった。

野上顕一郎は、戦時中、欧州某中立国公使館の一等書記官だったが、昭和19年に療養中のスイスで病死したとされている。
日本には、妻孝子と一人娘の久美子が遺された。

奈良から戻った節子は叔母の孝子をたずねて、「田中孝一」の筆跡のことを話す。
恋人久美子から芳名帳の話を聞いたR新聞記者の添田彰一は、野上は生きていて日本に来ているのではないか、と疑念を抱き、
密かに調査を始める。・・・・・

小説『球形の荒野』は、芦村節子が近鉄橿原線の西ノ京駅で電車を降りるところからはじまる。
節子は、薬師寺に立ち寄ってから唐招提寺へ向かう。

■唐招提寺 2018/5/25

節子は、まず、金堂を眺めた。
大きな鴟尾(しび)を載せた大屋根の下には、吹放しの八本の柱が並んでいる。いつ来ても、この円柱の形は美しい。
法隆寺を思い出すような、ふくらみのある柱だったし、ギリシャの建物にあるような形なのである。

軒の深い金堂の横を歩いて、裏側にまわった。
この位置から見る唐招提寺の布置くらい美しい眺めはない。なにか雅楽のリズムを聴いているような感じであった。



南大門から、正面に唐招提寺金堂を見る。


国宝の鼓楼。左後方に国宝の講堂、右に重要文化財の礼堂・東室、奥に開山堂が見える。
「この位置から見る唐招提寺の布置くらい美しい眺めはない」と書かれている場所はこのあたりではないだろうか。

金堂を見終わって、節子は出口に歩いた。

彼女は、守札や絵葉書などを売る受付の小さな建物に立ち寄った。
ここで東京への土産に何かを択び、従妹の久美子に持って行ってやりたかった。
壁かけになっている小さな焼物が置いてある。「唐招提寺」の四つの文字が配列してあるのが記念になりそうだった。

老人が品物を包んでいる間に、節子は、ふと、そこに置かれている芳名帳が眼についた。
その中の一つの名前に、彼女の視線がとまった。「田中孝一」というのである。
むろん節子の知った名前ではない。未知の人の名前ながら、どこかで、その文字に遭ったような気がしたからである。どこかで――。

節子は、唐招提寺のあと法華寺や秋篠寺のある佐保路を歩いてみたいと思っていたが、予定を変更して飛鳥へ向かう。
近鉄橿原線の橿原神宮前駅で降りて、タクシーで橘寺に立ち寄る。

■橘寺 2010/3/25

タクシーの走っている道は寂しかった。

両側が広い平野で、農家が部落をつくって点在しているだけだった。岡寺をすぎて、橘寺の白い塀が正面に見えた。
節子は、運転手に待って貰うように言い、寺の高い石段を上った。


橘寺の芳名帳には「田中孝一」の名前はなかった。


節子が橘寺に立ち寄ったのは秋だったが、この画像は桜が咲きはじめの春のものである。
節子は、逸る気持ちを押さえながら、この石段を上って行ったことだろうが、小説に書かれているような高い石段ではない。

節子が次に向かったのが安居院である。

■安居院(飛鳥寺の正式名称) 2010/3/25

安居院の門を入ると、金堂はその横にあった。礎石らしい大きな石が、庭にある。

この金堂の本尊は、止利仏師作といわれる飛鳥大仏である。美術史といったたぐいの写真でさんざんお目にかかっているが、いまの節子は、「古拙の笑い」を泛べた本尊を急いで拝む気はなかった。ここでも、先ず、芳名帳を見せてもらいたかったのである。


そして、節子は、芳名帳に「田中孝一」の署名を見つける。



今の飛鳥寺には安居院の表札はない。
門を入ってすぐ左手の庭には万葉歌碑が二基あり、小さな歌碑には短歌、大きな歌碑には長歌が刻まれている。歌碑の手前に礎石のような大きな石がある。
 
 


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