文学散歩

白州正子『逢坂越』

『近江山河抄』の『逢坂越』に登場する場所をたずねる。
2013/11/15 EOS 5D/24-105



謡曲「蝉丸」の道行は、京都から逢坂山への道順をかなり詳しく教えてくれる。

 花の都を立ちいでて、憂き音に鳴くか賀茂川や、末白河をうち渡り、粟田口にも着きしかば、今は誰をか松坂や、
 関のこなたと思ひしに、後になるや音羽山の名残惜しの都や。松虫鈴虫きりぎりすの、啼くや夕影の山科の、里人
 もとがむなよ、狂女なれど心は清滝川と知るべし。逢坂の、関の清水に影みえて、今やひくらん望月の駒の歩みも
 近づくか、水も走り井の影みれば・・・・・・以下略

だいたい現在の一号線にそっている。粟田口は今では京都の繁華街だが、昔は郊外の静かな場所であったろう。
粟田口神社は、東海道と平行して、南側の岡に建っており、そこが旧道であったと思われる。

松坂というのは、山科の日の岡へぬける坂道で、私が子供の頃は、未だ田園風景が残っていた。
四の宮をすぎると、間もなく逢坂山へかかり、大谷の集落から、滋賀県に入る。
「関の清水」は、蝉丸神社(下社)の中にあるが、これは後に作られたもので、本物は清水町の人家の中にあったという。


蝉丸神社下社の「関の清水」。

「今やひくらん望月の駒、云々」は、八月十五日夜の日に、ここで信州の牧場から来た馬を、朝廷に引渡す行事があり、
満月にちなんで「望月の駒」と呼ばれた。・・・・・このことを詠んだ歌は多いが、中でも有名なのは紀貫之の作である。

 逢坂の関の清水に影みえて今やひくらん望月の駒


蝉丸神社下社の紀貫之の「望月の駒」歌碑。
    

鳥居をくぐったすぐ右手に、蝉丸の歌碑がある。

これやこの ゆくもかえるも わかれては しるもしらぬも 逢坂の関

本殿の左手奥に 「時雨(しぐれ)燈籠」がある。6角形で鎌倉時代の様式をもつ超一級の燈籠だという。国の重要文化財。

年を経るとともに、逢坂山を詠んだ歌は数を増すが、古代人が感じたようなきびしさ、神聖さは失われて行く。

 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ     清少納言
 逢坂は人越えやすき関なれば鳥鳴かずともあけて待つとか     藤原行成

『枕草子』に現われる有名な贈答歌だが、諧謔的であるのみか、かなり露骨な表現におよんでいる。
逢坂山は、身近な、親しいものになったのだ。同じく百人一首の蝉丸の歌もよく知られている。

 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関      (後撰集)

流れるようなリズム感は、彼が琵琶の名手であったことと無関係ではあるまい。
盲目ではなかったという説もあるが、こういう歌を作るために、目が見える必要はないと思う。この歌から私が感じるものは、
関所の喧噪をよそに、人生の無常に耳をかたむけている孤独な盲人の姿である。

逢坂山関址にはこれらの歌碑がある。
    

逢坂山を舞台にした能には、ほかに「関寺小町」と「鸚鵡小町」があり、鎌倉時代に流布された『玉造小町壮衰書』が原典になっているが、
舞台を逢坂山に設定したのは、小野氏の流れを汲む伝承者たちに相違ない。
小野小町は晩年、山科の随心院のあたりに住んでいたことが、ほぼ明らかになっており、逢坂山にいたという確証はない。
まして、乞食におちぶれるほど貧乏でもなかった。山科と逢坂山は目と鼻の間で、その辺を根城にした猿女の君の末裔が、あたかも小町
がのりうつったように物語ったのが、聞く人々の共感を呼んだのであろう。
それは現実の小町よりずっと小町らしく、強烈な印象を与えたと思う。


この後の記述で関寺のことが書かれているが、小野小町供養碑が関寺跡にある。
   

蝉丸神社の下社(関清水明神)から少し下った所に、「牛塔」と呼ばれる大きな石塔が建っている。

このあたりは昔、関寺(世喜寺とも書く)のあった所で、来歴がはっきりしないのは、関の神社に付随する神宮寺であったのだろう。

草創の時、天竺の雪山(ヒマラヤ)から、牛乳を将来し、金鶏の香合に入れて納めたので、牛塔と名づけ、そこを鶏坂とも呼んだという。

が、もともと牛とは縁のある塔で、恵心僧都が関寺を再興した時、迦葉仏が白牛に化身して手伝い、工事の終了とともに死んだ、その牛を弔うために造ったともいわれている。

もとはと言えば、材木の運搬に使役した牛を、信心ぶかい人が、迦葉仏の化身だと夢に見て、いいふらしたにすぎないが、藤原道長や頼道まで、拝みに来るという騒ぎであった。

ただそれだけの話とはいえ、こんな美しい塔が建ったことは、それこそ嘘から出たまことといえるであろう。

石塔寺の三重の塔にはまだ朝鮮の影響が見られたが、この宝塔は完全に和様化され、力強い中に暖かみが感じられる。

関寺跡は現在の長安寺、その参道脇に牛塔がある。
高さ3.3m、鎌倉時代初期の作で、建造から800年くらい経過している。










    
 

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