文学散歩

亀井勝一郎『佐渡が島』

昭和25年(1950)6月の足跡をたずねる。
2012/10/7-8 K10D/16-45

筆者の学生時代の愛読書のひとつに亀井勝一郎選集がある。その中に、「廃墟(礎石をめぐって)」という作品があり、美術遍歴の第一歩は廃墟へ行くことであるという印象的な書き出しに続いて、佐渡島の国分寺跡をたずねたときのことが書かれている。

そして、亀井勝一郎さんは佐渡島をたずねたときのことを、「佐渡が島」という作品に残している。

佐渡の国分寺跡へ行ってみたいという思いはずっと持ち続けていたが、じっくり佐渡島を訪ねる機会に恵まれなかった。今回、亀井勝一郎さんの半世紀以上前の足跡をたずねることができた。

亀井勝一郎さんが「佐渡が島」の中で、国分寺から妙宣寺にかけての一帯が飛鳥路に似ていると書いたことから、妙宣寺近くに「佐渡飛鳥」の碑が建てられている。
   
亀井勝一郎さんが佐渡島をたずねたのは、昭和25年(1950)6月11日からである。佐渡は梅雨に入っていた。
芭蕉や良寛に思いを馳せながら、午後3時の船で新潟港から両津港へ。遊覧バスで小木港へ向かった。
その夜は小木に泊り、翌朝、蓮華峰寺(れんげぶじ)をたずねた。

   
●蓮華峰寺
小木から山道を半里ほど登ったところに蓮華峰寺がある。
この辺りは峰が重複し深山の趣があるが、その谷あいをとおして右手に、羽茂(はもち)の青々とした水田が時折俯瞰できる。
これが山道の風景に柔い変化を与えている。


亀井勝一郎さんの文章は、旧漢字や旧かな遣いが使用されているが、ここでは新漢字、新かな遣いで掲載した。
羽茂は、蓮華峰寺の東にある羽茂町のことである。

形のいい鐘楼がまづ眼につく。更に一段低いところに、仁王門と金堂がある。
金堂の前をよぎり、細道づたいにやや登ると、そこに奥の院がある。
亀井勝一郎さんは鐘楼が眼についたようだが、筆者は鐘楼ではなく八角堂が眼についた。
奥の院と書いているのは、弘法堂ではないかと思う。ここは真言宗の寺。空海によって開かれたとされている。
   

鮮やかな朱色とひさし下の彫刻が見事な八角堂。

仁王門。


重要文化財の金堂。左手後方の萱葺きは重要文化財の骨堂。

僧坊は金堂より更に一段低い。云わば谷の底の最も底にある。
御住職の案内でその二階に上がり、障子を開け放って周囲の景色を見せて頂いたとき、私の驚嘆は更に倍加した。
空が見えない。周囲は悉く大樹林の緑である。

現在僧房という建物はなく、客殿という大きな建物がある。ただし、二階建てではない。

蓮華峰寺を辞して、私は一里ほど、バスの通じる街道まで山道を歩いてみた。
向うから牛車を引いた老農夫がやって来た。すれちがうとき、ふと耳を傾けると謡曲をうなっている。

このころの旅人はよく歩いた。歩き旅だからこそ、謡曲をうなる農夫にも出会えた。佐渡はいまでも能の盛んなところであり、たくさんの能舞台がある。
   

●国分寺跡
国分寺跡については、「廃墟」という作品の中に、佐渡国分寺跡をたずねたときの記述があり、こちらの方が印象的である。

金堂、講堂、塔、南大門等礎石だけが赤松の林の中に、なかば土中に埋もれている。
梅雨の暗い日であったが、礎石の上に一本の朱塗りの円柱を建てて行って、やがて壮麗な大寺院の現出するありさまを空想した。

赤松は枯れたのだろうか、今は草原に礎石が点在しているのみである。
筆者も礎石のそばに立って空想する努力をしてみたが、大寺院を空想することはできなかった。
   


国分寺跡。

現在の国分寺。
   
●阿仏房妙宣寺と大運寺
私は国分寺から阿仏坊妙宣寺を歩み、更に竹田川に沿うて国中平野を一望のもとに眺めたとき、この一里近い一帯が、飛鳥路に実に似ているのに驚いた。


国分寺前にあった案内板。国分寺跡は現在の国分寺から西へ200mほどのところにある。
この案内図の国分寺跡から妙宣寺あたり一帯が飛鳥路に似ていると亀井勝一郎さんは書いているのである。
   

妙宣寺仁王門。


見事な彫刻の妙宣寺本堂。

妙宣寺五重塔は重要文化財に指定されている。

国分寺から阿仏坊妙宣寺に至る道もいい。佐渡には寺が三百余もあるが、新旧をとわず風情のいい寺を時々みかける。
この途中にあった大運寺という禅寺の山門のすがたに感心した。
苔むした石段の下から眺めた茅葺の山門は、佐渡で私が見た諸寺の門の中で最も端正であった。
   

石段下から見た大運寺山門。

境内から山門を見る。

大運寺山門前の石段は今も苔むしていた。
茅葺は60年の間に何度か葺き替えられたであろうが、当時のたたずまいはそのまま残っているのではないだろうか。
     
●真野御陵と黒木御所跡
真野山陵は順徳院火葬の地と伝えられる。
真野湾をはるかに見渡せる景勝の地だ。
現在黒木御所跡と云われる泉の里を御料地として、この辺りか或は真野の村に仮住居されていたのであろう。
「百敷や古き軒端のしのぶにも、なおあまりある昔なりけり」という御歌は有名である。

     

真野御陵・順徳院火葬塚。

黒木御所跡。真野御陵の北8kmくらいのところにある。
   
●正法寺
泉の里の黒木御所の近くに、正法寺という寺があって、その一隅に、世阿弥腰掛石というのが残っている。
苔に蔽われた見るからに老齢を思わせる石だ。

佐渡における世阿弥の唯一の遺跡だそうだが、何とも座りにくそうな形の石である。
腰掛石の近くに、青野秀吉さんという人の句碑があった。 
夏草や 世阿弥の跡の 石ひとつ
   


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