文学散歩

石川啄木を歩く/函館

 

●津軽海峡
06.5.24  明治40年、啄木はふるさと渋民尋常小学校の代用教員の職を追われ、妹光子を連れて函館をめざす。5月4日に渋民を発ち、夜の9時半に青森に着いて、ただちに函館行きの船に乗った。国鉄青函航路が開設されたのは翌年の明治41年で、イギリス製の高速船を使って3時間50分で、青森と函館を結んでいた。啄木が乗った船は、5時間以上かかったのではないだろうか。啄木は、函館に5月5日の早朝に到着した。そして、啄木が函館に住んだのはわずか4か月だった。
 石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆることなし
 船に酔ひてやさしくなれる いもうとの眼見ゆ 津軽の海を思へば
   

海峡から見た函館山は島のように見える。右端が立待岬。

函館港。左手後方にとんがった山容の駒ケ岳が見える。
   
●青柳町 06.5.24  啄木が住んだのは青柳町である。弥生尋常小学校の代用教員となり、やがて函館日日新聞の遊軍記者となったが、
        8月25日の大火により、小学校も新聞社も焼けてしまう。
 函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花
 こころざし得ぬ人人の あつまりて酒飲む場所が 我が家なりしか

折りしも電車が青柳町の坂を上って来た。

函館公園の「函館の青柳町〜」歌碑。
   
●大森浜 06.5.25 啄木が友人らと歩いた大森浜は、数々の名歌を生み出した。

ゴミのない美しい砂浜。後方の左手先端が立待岬、右手の山は函館山。

 頬つたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず
 いたく錆しピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて掘りてありしに
 砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもひ出づる日
 大といふ字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰り来れり

   

啄木小公園の啄木像。台座に「潮かをる〜」が刻まれている。
潮かをる北の浜辺の 砂山のかの浜薔薇はまなすよ
今年も咲けるや

西条八十が啄木に捧げた詩。
眠ゐし君に捧ぐべき 矢車草の花もなく ひとり佇む五月寒
立待岬の波静か おもひでの砂ただひかる
   
●立待岬 06.5.24 明治46年、啄木の死の翌年、妻節子の意志により遺骨を立待岬に葬った。
   

啄木一族の墓。啄木の書による「東海の〜」が刻まれている。
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

墓から函館市街を見る。