文学散歩

石川啄木を歩く/釧路

06/6/11取材

●釧路駅
啄木が釧路新聞社の記者として釧路へ赴任した1908年は、釧路は
まだ終着駅だった。かつての釧路停車場は現在の釧路駅に南西約
500mのところにあった。
さいはての駅に下り立ち 
雪あかり
さびしき町にあゆみ入りにき


●幣舞橋

釧路新聞社は幣舞橋を渡った先にあり、啄木が生活したのもそのあたりだった。当時の幣舞橋は、幅4.2m、長さ203mの木橋で、倒壊寸前のかなりみすぼらしい橋だったようである。
釧路新聞に掲載した詩「幣舞橋」で、
柱歪みて欄よれて 老いてみにくく横たはる
と表現している。
   
●港文館
釧路新聞社を建物を復元したもので、啄木の原稿や書簡などが展示されている。
釧路新聞社は、ここから南東へ200m行ったところにあった。今はガソリンスタンドになっていて、

十年まえに作りしといふ漢詩を 酔へば唱へき 旅に老いし友
という歌碑がたっている。

釧路停車場跡に立っていたものを港文館横へ移設し
た。台座には、恋人の小奴の手による「さいはての〜」の歌が刻まれた石板がはられている。

 


   
●小奴の碑
釧路新聞社跡から別名啄木通り(TAKUBOKU ROAD)とよばれている南大通を渡ったところに、小奴が旅館をやっていた場所がある。
ここには、啄木の歌3首を刻んだ小奴の碑があり、同名のバス停もある。
あはれかの国のはてにて 酒のみき かなしみの滓を啜るごとくに
小奴といひし女の やはらかき 耳朶なども忘れがたかり
舞へといへば立ちて舞ひにき おのづから 悪酒の酔ひにたふるるまでも
 
   
●啄木下宿跡付近
小奴の碑から200mくらい進んだ左手に「啄木ゆめ公園」があり、交差点を右に曲がると左に釧路シーサイドホテルがある。
啄木が下宿していたのがこのあたりで、シーサイドホテルの角に歌碑がある。
こほりたるインクの罎を 火に翳し 涙ながれぬともしびの下

啄木ゆめ公園付近。レトロな建物が残っている。

釧路シーサイドホテル。「啄木の宿」と称している。
   
●米町公園
南大通を歩道にある歌碑を見ながらずんずん進むと、知人岬の米町公園に達する。
灯台を模した展望台の近くに、昭和9年、啄木生誕50年記念の大きな歌碑がある。

しらしらと氷かがやき 千鳥なく 釧路の海の冬の月かな

公園真向かいの米町ふるさと館は明治33年築の商家。
   
●くしろバス停付近
米町公園を南東に進むと太平洋石炭販売輸送の鉄道に出る。その踏切手前に歌碑がある。
ここはバスの終点で、碑の前をバスは旋回する。折りしも、啄木塗装のバスがやって来た。
さらさらと 氷の屑が波に鳴る 磯の月夜のゆきかへりかな
   
●本行寺
啄木は、本行寺で行われた歌留多会で、この寺の奥さんの妹・小菅まさえや笠井病院の看護婦梅川操に出会う。
好き嫌いの激しい啄木だったが、このふたりの女性をかなり嫌っていたようである。
寺から北へ行くと、啄木に愛された小奴が住んでいたとされる場所に歌碑がある。

一輪の赤き薔薇の花を見て 火の息すなる 唇をこそ思へ

出しぬけの女の笑ひ身に沁みき 厨に酒の凍る真夜中
   
●しゃも寅亭
啄木が小奴のもとに通ったのがしゃも寅亭。建物は残っていないが、しゃも寅の井戸は名水として知られている。

葡萄えび色の 古き手帳に残りたる かの会合あいびきの時と処かな
啄木通り周辺には20以上の歌碑がある→石川啄木文学マップ