文学散歩

松本清張香椎

小説『点と線』の舞台・香椎をたずねる。
08/7/30 K10D


現在の香椎浜。博多湾人工島によってさえぎられ、海の中道や志賀島を見ることはできない。
神宮皇后伝説が残る御島(みしま)と鳥居だけがわずかに往時をしのばせてくれる。
小説では、このあたりで男女の死体が発見される。

  鹿児島本線で門司方面から行くと、博多につく三つ手前に香椎という小さな駅がある。この駅をおりて山の方に行くと、もとの官幣大社香椎宮、海の方に行くと博多湾を見わたす海岸に出る。

 前面には「海の中道」が帯のように伸びて、その端に志賀島の山が海に浮び、その左の方には残の島がかすむ眺望のきれいなところである。

  この海岸を香椎潟といった。昔の「橿日の浦」である。太宰帥であった大伴旅人はここに遊んで、「いざ児ども香椎の潟に白妙の袖さへぬれて朝菜摘みてむ」(万葉集巻六)と詠んだ。


筆者が最も好きな「点と線」の一節である。

清張が「点と線」を日本交通公社の「旅」に連載したのは昭和32年(1957)。わずか50年ほど前、香椎浜には1300年前の万葉の時代とあまり変わらない海岸があった。
   

1月21日の早朝、香椎浜海岸の岩の上で男女の死体が発見される。男は××省の課長補佐・佐山憲一、女は東京赤坂の料亭「小雪」の女中・お時と判り、検証の結果、心中と断定された。佐山の遺留品の中に列車食堂の受取証があった。御一人様と書かれてあることに、福岡署の老刑事・鳥飼重太郎は疑問を持った。

ふたりは同じ汽車で来たのではないのか。博多の旅館を洗うと、佐山は1月14日「あさかぜ」で東京を発ち、東中洲の丹波屋に泊り、20日の夜、女性からの電話で宿を出て、そのまま香椎海岸へ向ったらしい。

心中が××省の汚職事件に関係あるとにらんだ警視庁捜査2課の刑事・三原紀一は福岡署へ向い、鳥飼に会う。鳥飼は心中に疑問を感じ一人で調べたことを三原に話した。

帰京した三原は、小雪」の女中・八重子が、東京駅の横須賀線のホームからふたりが「あさかぜ」に乗るのを見たという証言を思いだした。八重子はこの頻繁な列車発着の中で、なぜホームをへだてた佐山とお時を見ることができたのか。助役室でダイヤグラムを調べ、1日に1回、「あさかぜ」発車の直前に4分間だけ横須賀線の13番ホームから「あさかぜ」が出発する15番ホームを見渡せることを知った。

三原は、東京駅で安田辰郎という男に 15番線を歩く佐山とお時の姿を教えられたことを八重子から聞きだす。三原はそこに安田の意図を感じた。安田は××省出入りの機械工具商。三原は安田に会って確認すると、鎌倉で静養している妻に会うため東京駅へ行ったのであり、事件当日は北海道に出張していたと言う。安田と同じ頃、汚職の中心人物と目される××省の石田部長が部下を連れ、北海道へ出張していたことが判った。ふたりは、安田の北海道でのアリバイ作りを行っていたのだ。

三原は安田の妻・亮子を鎌倉に訪ねた。一冊の汽車の時刻表が枕元にあった。彼女の随筆が載った文学雑誌には、「数字のある風景」という作品があり、彼女が時刻表に日頃から親しんでいることが書いてあった。亮子が心中事件を計画し、目撃者作りやアリバイ作りも考えた。香椎海岸で、亮子は佐山を、安田はお時を殺し、死体を並べて置いたのだった。

「数字のある風景」

 時刻表には日本中の駅名がついているが、その一つ一つを読んでいると、その土地の風景までが私には想像されるのである。それも地方(ローカル)線の方が空想を伸ばさせてくれる。豊津、犀川、崎山、油須原、勾金、伊田、後藤寺、これは九州のある田舎の線の駅名である。新庄、升形、津谷、古口、高屋、狩川、余目、これは東北のある支線である。私は油須原という文字から南の樹林の茂った山峡の村を、余目という文字から灰色の空におおわれた荒涼たる東北の町を想像するのである。私の目には、その村や町を囲んだ山のたたずまい、家なみの恰好、歩いている人まで浮ぶのである。徒然草に「名を聞くより、やがて面影は推しはかるる心地するを」という文句があったことを覚えているが、私の心も同じである。所在ないときは、時刻表のどこを開けても愉しくなった。私は勝手に山陰や四国や北陸に遊んだ。

 こんなことから、つぎに時間の世界に私の空想は発展した。たとえば、私はふと自分の時計を見る。午後一時三十六分である。私は時刻表を繰り、十三時三十六分の数字のついた駅名を探す。すると越後線の関屋という駅に122列車が到着しているのである。鹿児島本線の阿久根にも139列車が乗客を降ろしている。飛騨宮田では815列車が着いている。山陽線の藤生、信州の飯田、常磐線の草野、奥羽本線の北能代、関西本線の王寺、みんな、それぞれ汽車がホームに静止している。
    
●国鉄香椎駅から西鉄香椎駅へ
事件当夜の9時半ごろに香椎浜で死んだ男女ではないかと思われる二人連れが目撃される。国鉄香椎駅前の果物屋の店主は、9時24分着の上り列車から降りて来た二人連れを目撃する。一方、西鉄香椎駅9時35分着の電車を降りた会社員は、知らない男女の一組に追い抜かれたという。

 明るい灯のある駅についた。時計を見た。六分が切れている。――つまり、国鉄の香椎駅と西鉄香椎駅との間を歩くのに、六分間を要しないことがわかった。重太郎は思案した。時計を眺め、こんどは、また国鉄の香椎駅に向ってもどった。前よりは歩く速度を落した。自分の靴音で、速度をはかっているような感じがした。駅につくと、腕時計を見た。六分と少しかかっている。重太郎は、それからまた、元の道を歩きだす。こんどはゆっくりとしたのろい足だ。ぶらぶらと左右の家を見ながら、散歩のような恰好だった。そんな遅い歩き方で西鉄香椎駅についてみると、八分ばかり要していた。

 この三度の実験でわかったことは、国鉄の香椎駅と西鉄の香椎駅の間は、普通で歩けば六分乃至七分間で行けるということなのだ。 
――国鉄香椎駅で降りて、果物屋が見た男女は九時二十四分である。会社員が見た西鉄香椎駅の男女は、九時三十五分の電車の降車客といっしょだったというから、十一分間の開きがある。この男女が同一人とすれば彼らは、国鉄香椎駅から西鉄香椎駅まで来るのに十一分も要したことになる。
   

国鉄香椎駅は木造平屋だったが、JR香椎駅はビル。

駅前の果物屋は自動販売機のたばこ屋になっている。


国鉄香椎駅から西鉄香椎駅への道。正面に西鉄宮地岳線の高架が見えている。
国鉄香椎駅は現在のJR香椎駅で、西鉄香椎駅は高架になっているが、位置は現在と同じである。国鉄香椎線から西鉄宮地岳線の踏切(現在は高架)まで、約150m、踏切の先で右折して約100mで西鉄香椎駅。

250mの距離を時速3kmで歩いたとして、分速50m。5分で歩ける距離である。筆者も歩いてみたがちょうど5分くらいだった。

鳥飼刑事も二人連れが、国鉄香椎駅から西鉄香椎駅まで11分かかっていることに疑問を感じ、二組の男女であることを突き止める。国鉄香椎駅で降りたのは亮子と佐山、西鉄香椎駅で降りたのは安田とお時だった。
   
●西鉄香椎駅から香椎浜へ
西鉄香椎駅前で左折し、60mくらい歩いたところで右折する。200mほど進むと国道3号線と交差し、御島橋を渡る。
かつては御島橋まで海岸線であったが、南が埋め立てられ、現在の海岸線はさらに400mくらい進んだところにある。
   
「改札を出て、私の家の方に歩いてゆくときです。その晩私は博多で飲んで少し酔っていましたから、歩く速度が遅かったのです。すると、私の後から同じ電車で降りた人が、二三人追い抜いて行きました。それは土地の者ですから、私も見知っています。ただ、知らない男女の一組が、やはり後から来て、かなり急ぎ足で先に行きました。男はオーバーで、女は防寒コートの和装でした。その二人が浜の方へ出る寂しい道を歩いてゆくのです。私は、そのときは気に止めず、自分の家のある横丁にまがりましたが、あくる朝、あの心中でしょう。新聞によると、前夜の十時前後の死亡とあったから、もしやあの男女ではなかったかと思いあたったわけです」
会社員は、そう言った。
「それで、顔を見ましたか?」
「それが、今いったように、後から来て追い越して行ったものですから、後姿しか見えません」
「ふむ。オーバーの色とか、コートの下の着物の模様とかは?」
「それもまるでおぼえがないのです。あの通りは電燈の明りも暗いし、それに酔ってもいましたから。ただ女の言った一言だけが聞えました」
「何?」
 重太郎は目を光らせた。
「どんなことを言ったのですか?」
「私の傍を通り抜けるとき、女が、男に〈ずいぶん寂しい所ね〉と言ったのです」
「ずいぶん、寂しい所ね。――」
 重太郎は、思わず復誦するようにつぶやき、
「それで、男の方はなんと答えましたか?」
「男の方は黙っていました。そして、ずんずん向うに歩いて行ったのです」
「その、女の言った言葉は、声に何か特徴はありませんでしたか?」「そうですな。わりあい澄んだ女の声でしたよ。それに土地の訛のない、標準語でした。この辺の者なら、そんな言葉づかいはしません。言葉の調子から、あれが東京弁だと思います」
   

西鉄香椎駅は2006年に建て替えられ高架になった。
建て替えられる前の平屋の駅舎が見たかった。

西鉄香椎駅前。お時が安田に「ずいぶん、寂しい所ね」と言っ
た場所であるが、今もあまりにぎやかではない。


香椎海岸から150mほど手前の地点。
かつて左手は海だったが今は住宅地になっている。
 西鉄香椎駅で降りて、海岸の現場までは、歩いて十分ばかりである。駅からは寂しい家なみがしばらく両方につづくが、すぐに切れて松林となり、それもなくなってやがて、石ころの多い広い海岸となった。この辺は埋立地なのである。

 風はまだ冷たかったが、海の色は春のものだった。荒々しい冬の寒い色は逃げていた。志賀島に靄がかかっていた。



香椎浜から西鉄香椎駅を経て国鉄香椎駅へ小説の舞台を辿ってみたが、小説が書かれた50年前の面影を見出すことは難しかった。天気が悪くて写真の出来もイマイチだった。

埋め立てによって海岸線は大きく変貌し、博多湾には人工島が出来てかつての風景は完全に失われていた。木造平屋だった西鉄香椎駅も国鉄香椎駅も、コンクリート造りに替わっていた。

関連ページ 西鉄香椎駅前の清張桜(お時桜)


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