シネマ紀行
 青春の門筑豊編
 福岡県田川市内 2003.11.3-4 CAMEDIA E-100RS,PENTAX*istD

  1975年 東宝 183分
[監督]浦山桐郎
[脚本]早坂暁 浦山桐郎
[原作]五木寛之
[撮影]村井博
[音楽]真鍋理一郎
[出演]
吉永小百合 仲代達矢 小林旭 田中健  大竹しのぶ 関根恵子 小沢昭一  河原崎長一郎

大正七年、米騒動の嵐が筑豊に波及した時、軍隊に抵抗し男を上げた伊吹重蔵(仲代達矢)は、坑夫たちの信望を集めた。一人息子の信介を残して妻が他界してから数年、重蔵は、女給タエ(吉永小百合)に恋をした。重蔵は店に乗り込み強引にタエを連れ出したが、重蔵と同じようにタエに惚れているヤクザ塙竜五郎(小林旭)が駈けつける。取っ組み合いの末、重蔵はタエを獲得する。しかし、炭鉱で水没事故が起こり、重蔵は坑内に閉じ込められた朝鮮人徴用工を救出しようと自ら爆死を遂げる。

昭和二十年。小学校四年になった信介(田鍋友啓)が、ある日仲間たちと一人の朝鮮人少年をいじめている時、来合せたタエは怒った。タエは信介を父親のような男らしい男に育て上げようと、炭鉱労働をして頑張っていたのだ。この喧嘩をきっかけに、水没事故の時に命を救われた朝鮮人・金(河原崎長一郎)がタエのもとに出入りするようになる。この事は、炭鉱内の噂になるがタエは気にしない。しかし、信介は金に好意を感じる一方、美しい義母を取られるような恐れを感じる。だが、その金も出征。

そして敗戦。男たちが戦場から帰って来る。かつて重蔵の配下だった平吉(小沢昭一)、竜五郎、金。重蔵にタエ母子の事の面倒を見る、と約束していた竜五郎は、タエと信介を自宅に引き取ろうとするが、金は猛烈に反対し自分と共に朝鮮へ行こう、と言う。気丈なタエはこの二人の申し出を断わるが、その心の隙をつかれ、人のいない坑道内で平吉の愛撫を許す。その直後、大音響とともに落盤事故が起こり、平吉は死亡、タエは辛うじて救出される。

朝鮮動乱勃発。信介(田中健)は中学三年。竜五郎の説得で、めっきりやつれたタエと信介は、飯塚に向って烏尾峠を越えようとしていた。信介の幼なじみの織江(大竹しのぶ)が涙ながらに見送る。竜五郎の家に着いてすぐ、タエは喀血して入院する。やがて、信介には次々と新しい体験が訪れる。性のめざめ、喧嘩、高校進学、野球部生活……。その中で、音楽の女教師、梓旗江(関根恵子)の魅力は強烈だった。ある日、信介は、旗江と恋人のアメリカ人記者との情事を目撃しショックを受ける。

タエも日増しに快方へ向かいつつあった日、信介は、今は若松のキャバレーの女給になっている織江に会いに行った。「同じ炭鉱で死んでも、うちのお父ちゃんは虫かごつ」と織江になじられるが、その夜、信介と織江は結ばれる。数日後、大学受験で上京する前夜、元気になったタエに、信介はつもる想いの数々をぶつけて抱きついたが、涙で耐えるタエに制せられた。翌日、激しい愛の苦しみと、行方の定まらぬ情念を抱いたまま、信介はオートバイを駆って筑豊を出てゆく。

(goo映画より引用)

 


 

 

 香春岳


1974 MamiyaC330
香春岳は異様な山である。けっして高い山ではないが、そのあたえる印象が異様なのだ。

標高にくらべて、実際よりはるかに巨大な感じをうけるのは、平野部からいきなり急角度でそびえたっているからだろう。

南寄りのもっとも高い峰から一の岳、二の岳、三の岳とつづく。

雲の低くたれこめた暗い日など、それは膿んで崩れた大地のおできのような印象を見る者にあたえる。それでいて、なぜかこちらの気持ちに強く突き刺さってくる奇怪な魅力がその姿にはあるようだ。
    
       (五木寛之「青春の門」より)



伊田線糒(ほしい)のボタ山から見た香春岳。折りしも、9600形蒸気機関車の引く貨物列車が通過してゆく。

撮影したのは1974年、映画のロケが行われた年である。香春岳の掘削はかなり進んでいて、一の岳は平らになっていたが、現在と比べるとまだ高さがあった。


 

約30年前の上の写真と比べると、一の岳の高さがまるで違う。

糒のボタ山があったあたりは造成され、「星美台」という住宅地として分譲されていた。



ボタ山は、土、砂、大小の石ころで出来ている。


香春岳、日本セメント香春工場、そしてボタ山。日田彦山線の列車が通過してゆく。1980/3/15 Canon EF


栄町の飲み屋街のむこうに香春岳が見える。

市内の繁華街をとおりぬけ、赤煉瓦の二本の煙突の下につづく栄町の道筋をたどりながら、ふと気づくと、町の家並みの背後に突き立ったようなすがたで巨大な三連峰がぬっと頭上にのしかかってくるのだ。
(五木寛之「青春の門」より)

栄町に立ってみると遠くに香春岳は見えるが、五木氏が書いているような迫力は感じられなかった。香春岳の異様さと迫力を強調するために、このように表現したのであろう。

タエは栄町のカフェの女給だった。
重蔵は、前借金で身動きのとれないタエを強引に連れ出しで後妻にした。

 ■炭鉱住宅

重蔵、タエ、信介は炭鉱住宅に住んでいた。織江も同じ長屋に住んでいた。こんな感じの住宅だったのではないだろうか。
田川市羽衣町、三井
松原炭鉱住宅

 三井田川六坑のボタ山

重蔵と竜五郎がタエをめぐって、取っ組み合いをするシーンなどに登場するボタ山。雑草が生えた原っぱのむこう、左手に香春岳、右手にボタ山が見える。このボタ山は、香春岳と並んで、この映画のシンボル的存在である。

ロケが行われたのは、この地点に間違いないと思う。辛うじて原っぱが少し残っているが、周辺には住宅が建て込み、ボタ山は木が生え、香春岳も平らになっている上に、ゴルフ練習場のネットが邪魔している。

筑豊に残るボタ山は、筑豊富士と呼ばれている穂波町の住友忠隈坑とここ旧三井田川鉱業所六坑のボタ山だけになってしまった。




 

伊田の中央公園から遠望。
六坑のボタ山におおいかぶさるような香春岳。












 

 添田線上伊田駅


1980/3/15 CanonEF
足を怪我した信介を背負って、タエが線路を歩いている。伊田の2本の煙突からは煙が出ていない。「事故でもあったんじゃろか」と信介が言うが、後で、日本が戦争に負けたことを知る。

タエと信介が歩いていた線路は、添田線の上伊田駅付近。むこうに見えるのが三井田川六坑のボタ山。当時は木が生えていなかった。


←1980年3月15日の上伊田駅。
  1985年4月1日に添田線は廃止となる。





 

 烏尾峠


烏尾峠から香春岳遠望。2001/11/12 PENTAX Z-5p
タエの体の具合がかんばしくなく、タエと信介は、竜五郎の世話になるため、竜五郎が運転するトラックに家財道具を積んで飯塚へむかう。

烏尾峠の頂上付近にさしかかったとき、タエが車を止めて、と言う。振り返ると田川の街のむこうに香春岳が見えている。タエは香春岳に向かって手を合わせ嗚咽する。

峠に達すると田川の町や、中元寺川や、そしてあのなつかしい香春岳の山の姿が、一望のもとに見えてくる。鉱業所の赤煉瓦の煙突からは、黒い煙が西になびいて、いくつものボタ山の裾野が見事な扇の形に眺められた。(五木寛之「青春の門」より)


映画に出てくる烏尾峠のカーブ付近は、ロケから約30年、木がのびて視界がさえぎられていた。
 

 中元寺川鉄橋


1973 Canon FTb

左手の土手に道があり、身の下相談にのってくれた早竹先生(加藤武)をバイクに乗せ、信介が通りかかる。折りしも、中元寺川にかかる鉄橋を蒸気機関車が通ってゆく。 炭鉱成金が乗った大きな外車とすれ違うが、道が狭いため接触してバイクが転倒する。

このシーンは、朝鮮戦争の特需景気で金儲けをした炭鉱成金の横着さを表現したかったことと、やはり、蒸気機関車の走る姿を映し出したかったのではないだろうか。

映画の中で蒸気機関車がはっきりと映し出されるのは少なかったので、今でも鮮明におぼえている。

当時、船尾にある鉱山から採掘される石灰石を、9600形蒸気機関車が引く貨物列車が運搬していた。船尾・後藤寺間には頻繁に貨物列車が通り、後藤寺からは、田川線を経由して、苅田港のセメント工場へ貨物列車が走っていた。後藤寺線は機関車の編成がおもしくて人気があった。


←1974年当時はガードレールがなく、道の両側には草が生え
 ていた。川もコンクリートで護岸されてしまった。


関連ページ 後藤寺1800時





 

この映画が公開されたのが1975年2月。筑豊の国鉄線上から蒸気機関車が姿を消したのが1974年12月。
蒸気機関車が消えたという言わば虚脱感の中でこの映画をみた。当時30歳の吉永小百合がほんとうにきれいだった。

炭鉱や炭鉱住宅などのシーンは、山口県美祢市の大明炭鉱で撮影されたが、その他のシーンは、主として田川市でロケが行われた。
筑豊へは蒸気機関車の撮影でよく通っていたので、映画に映し出される筑豊の風景は大変なつかしかったし、いろいろな意味で衝撃
を受けた映画だった。

「青春の門」は、菅原文太、松坂慶子の主演で東映でも映画化され1981年に公開された。
   

1973年1月、田川線油須原から見た香春岳。いつまでも忘れられないなつかしい風景。 Canon FTb
「青春の門」のせりふ

重蔵が、落盤事故で坑内に閉じ込められた坑夫の救出に向かうとき、竜五郎に向かって、「馬鹿も利口も命はひとつたい」と小さく笑う。

信介が数人の仲間と朝鮮人の子どもをいじめているのを見たタエが、信介を問い詰めると、信介が言い訳をする。タエは、
「なんちかんち言いなんな」と言って、信介のほほに平手打ちをくらわす。 このセリフは原作にはない。

 
 
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かつての糸田線鷹羽橋付近。正面の小高いところはボタ山の跡。

後藤寺線中元寺川鉄橋付近。