等覚寺の松会
国指定重要無形文化財

等覚寺(とかくじ)の松会(まつえ)。等覚寺は福岡県東部の苅田町にある地名、松会は山伏の祭典で、田行事を中心とした五穀豊穣を祈る祭りである。このような祭りがあることはかなり以前から知っていたが、アクセスがよくないので行く機会がなかった。近くに住んでいて、この祭りを見ないままでいるのはもったいないと思い、少し無理をして出かけた。
2019/4/21 EOS 7DU/18-135 参考サイト 苅田町・等覚寺の松会 白川の里から/等覚寺の松会

等覚寺の松会は、毎年4月第三日曜日の12時30分〜15時、平尾台に近い山中にある白山多賀神社の松庭で行われる。
起源は天暦七年(953)で、1000年以上伝承され現在に至っている。日本人の伝統や文化に対する姿勢がうかがえる。
いろいろな演目があり、神興行列に始まって、幣切りで終わる。
祭りは3時間を予定されているが、この日は13時に始まって15時15分に終わり、2時間15だった。

山中への車の乗り入れは禁止されていて、白川地区にある西部公民館へ駐車し、ここからシャトルバスでむかう。
当日、10時半くらいに西部公民館に着いてみると大勢の人がバスを待っていて、バスに乗るまでに1時間くらいかかった。
西部公民館から神社付近までは曲がりくねった林道で、所要時間は約15分。


等覚寺の麓にある白川小学校の生徒たち、祭りが終わっての記念撮影。

この祭りは、舞台に次から次へと登場する演者をじっと座って見るという形をとるので、撮影する方に動きがない分、撮影するのが難しかった。
以下、祭りの進行順に、筆者がお気に入りのシーンを掲載する。


祭りが始まる前の白山多賀神社。


神輿が鳥居をくぐり、右手下にある
松庭の御旅所にむかう。


神官に導かれて、田打ち、田植え、楽打ちに参加する白川小の子どもたちがつづく。子どもたちは、この祭りで重要な役割を果たしていた。

 
玉串の奉納が行われ後、二匹の獅子が登場し、参列者をまわって厄払いを行う。
以前は、玉串奉納の後に流鏑馬が行われたことがあるようだが、この日は流鏑馬はなかった。


鬼会(おにえ)。鬼会とは、旧暦の正月に無病息災と五穀豊穣を祈る行事で、
昭和33(1958)年に等覚寺の松会に演目として加えられたという。


施主による種子蒔きの後、子どもたちが松庭を田んぼに見立て、田打ち歌に合わせて田を耕す。
四方を大きな木に囲まれた松庭は、中央にぽっかりと日差しがあり、周辺は木漏れ日だった。

田打ちの途中で、「おとんぼし」という山の神があらわれ、田鋤などの滑稽な所作を行う。
田んぼがならされたところで、子どもたちが田植え歌に合わせて苗を植える。
つづいて、稲穂の実りを表現した「はらみ女」が登場し、滑稽な所作を行う。



  

楽(らく)打ち。子どもたちが、笛、太鼓、ささらの楽器に合わせて踊る。


山伏による鉞舞(まさかりまい)、薙刀舞(なぎなたまい)が行われる。
上から見るとこんな感じ。斜面の下に松庭があり、観客は斜面に階段状に座って見る。なかなかいい舞台装置だ。

等覚寺の松会の最後を飾るのが「幣切り」。
本行事にさきがけ、4月に入ってから柱起こし、綱打ち・綱掛けが行われ、高さ約10mの松柱の準備がなされる。

 


施主は命綱を付けず、カズラを手掛かりに松柱をゆっくりと上って行く。



  

松柱が陽、松庭が陰、御幣が神の御種を表しているという。
御幣を広げて天地四方を祓い清め、日本刀で竹の部分を切り落としその切り口で豊凶を占う。
そして、御幣を切り裂く。御幣が舞いながら松庭に落ちて行った。
松柱を上り始めてから御幣を切り落とすまで、20分くらいかかった。


今、過疎化が進む中、多くの人々の協力によって伝統行事が受け継がれている。
平成最後の年に初めて、「等覚寺の松会」を見ることができたが、令和へ、さらにずっと先まで続いてほしい。

デジカメ散歩次へ