上毛三碑

群馬県高崎市に上毛三碑と呼ばれる三つの古碑がある。7世紀末から8世紀初め、飛鳥時代から奈良時代にかけて建てられたもので、建造から1300年になる。建て屋の中に保存されていてガラス越しにしか見ることができず、当日は天気がよかったため日光が反射してさらに見にくかった。  2010/11/3 PENTAX K10D
  
●山上碑(やまのうえのひ)
高崎市山名町、天武9年(681)、三碑の中で最古。
古墳の墓誌でありすぐ隣に横穴式古墳が残っている。

辛己(巳)年歳集月三日記
佐野三家定賜健守命孫黒売刀自此
新川臣児斯多々弥足尼孫大児臣娶生児
長利僧母為記定文也 放光寺僧


辛巳の歳集月三日記す。
佐野の三家と定め賜える健守命の孫の黒売刀自、
此れ新川臣の児の斯多々彌の足尼の孫の大児の臣に娶いて生める児、
長利の僧母の為に記し定むる文也。  放光寺僧


墓碑で被葬者と年代が分かる唯一の古墳とされている。



古墳入口。

 

●金井沢碑
高崎市山名町、神亀3年(726)。祖先の供養のため建立。

上野国群馬郡下賛郷高田里
三家子孫為七世父母現在父母
現在侍家刀自他田君目頬刀自又児加
那刀自孫物部君午足次蹄刀自次乙蹄
刀自合六口又知識所結人三家毛人 
次知万呂鍛師礒マ君身麻呂合三口
如是知識結而天地誓願仕奉
石文
神亀三年丙寅二月廿九日


上野国群馬の郡下賛の郷高田里の三家の子孫、七世の父母。
現在の父母の為に、現在侍る家刀自、池田の君目頬刀児、又児、加那刀自、
孫の物部の君午足、次にめづら刀自、次に乙めづら刀自、合わせて六口、
又知識に結べる人三家の毛人、次に知万呂、鍛師は磯部の君身麻呂合わせて三口、
かく知識に結びて、天地に誓み願い仕え奉る石文。神亀三年丙寅二月二九日。



金井沢碑入口。

●多胡碑
高崎市吉井町、和銅4年(711)。
多胡郡を設置した時の記念碑。
宮城県の多賀城碑、栃木県の国造碑とともに日本三古碑。
弁官符上野国片岡郡緑野郡甘
郡并三郡内百戸郡成給羊
胡郡和銅年三月九日甲寅
宣左中弁正
位下治比真人
政官二穂積親王左臣正二
位石上尊右
臣正二位藤原尊


弁官符す。上野国の片岡郡、緑野郡、甘良郡并せて三郡の内、
三百戸を郡と成し、羊に給いて多胡郡と成せ。
和銅四年三月九日甲寅に宣る。
左中弁正五位下多治比真人、太政官二品穂積親王、左太臣正二位石上尊、
右太臣正二位藤原尊。

多胡碑の近くには多胡碑記念館がある。古碑に関する資料館のようであるが、
おとずれた時は開館1時間前だったので館内へは入っていない。



近くの神社で見かけた道祖神。