山鹿灯籠まつり2013

「ぬしは山鹿の骨なし灯籠」と唄われる「よへほ節」にあわせて踊られる山鹿灯籠踊りを中心とした山鹿灯籠まつりは、毎年8月15日、16日に開催される。今回初めて15日のみ出かけた。
2013/8/15  EOS 5D/24-105  EOS 7D/70-200

今から1900年ほど前、なぞの多い第12代景行天皇が九州巡幸の際、霧に進路を阻まれたのを山鹿の里人がたいまつをもって案内をした。

景行天皇が行宮(あんぐう、仮の御所)を営んだ跡地に天皇を祀ったのが大宮神社の起源とされている。
たいまつを灯籠に変えて大宮神社へ奉納したのが山鹿灯籠の由来で、8月16日は大宮神社の例祭日である。
女性があたまに灯籠を載せて優雅に踊る灯籠踊りは、昭和29年(1954)に観光活性化のために考案された。

山鹿灯籠まつりの公式行事の最初を飾るのが、15日18時30分からの大宮神社での奉納灯籠踊り。
よへほ節の歌詞が書かれた赤いゆかたの山鹿灯籠踊り保存会の踊り手が社殿内でお祓いを受け、まず社殿に向かって1回、門に向かって1回踊る。

保存会は踊り手30名、地方(唄、三味線、笛、太鼓)15名で構成されている。
踊り手は18歳以上の山鹿及び山鹿近郊の独身女性で、国内外の行事に年に約230回出演しているという。


今回の撮影中に何度「よへほ節」を聞いただろうか。
帰宅してからもしばらくの間、ゆったりとしたリズムの「よへほ節」が頭の中で流れていた。
 
 

優雅に一礼して踊りに入る。この日の踊り手は6人×3組=18人。位置取りが悪くて、3組目が隠れている。


最前列右端の江上飛鳥さんはテレビやウェブで拝見したことがある。「指先をきれいに見せることに気を遣う」そうだ。
 


最近は子供に限らず前髪をたらしている大人が多い。欧米の女性は額を見せている人がほとんどである。 日本もかつてはそうであった。
「まだあげ初めし前髪の林檎のもとに見えしとき」という島崎藤村の詩にもあるように、前髪をあげることが大人への証しであった。
山鹿灯籠踊り保存会の女性たちは、前髪をすっきりとかきあげ、長い髪がうしろで束ねられていて、うなじがとても美しくて魅力的である。
髪を染めている人がいるが、できれば黒髪であってほしい。 壁紙1024×768

 
最後にこの決めポーズで終わる。このあと20分後に予定されているおまつり広場での踊りに急ぎ足で向かった。

2013年の奉納灯籠は27基。16日22時から大宮神社へ奉納される。

大宮町の東京・神田神社の灯籠。

青年会議所の矢つぼ・鳥かご・金灯籠。
 

大宮神社隣の山鹿小学校グラウンドでは16日の千人灯籠踊りの会場準備
が進められていた。想像していたよりもずっと狭い会場だった。

臨時駐車場になっている山鹿中学校の玄関には灯籠まつりの大きな絵があった。子供の頃から灯籠まつりに親しんでいるのだろう。

18時30分からおまつり広場で灯籠踊りが披露される。
鹿本農高郷土芸能部、保存会、文化協会、山鹿市民の順で行われ、さらに繰り返して23時まで続く。
筆者は、保存会と文化協会の踊りを見て、山鹿市民が待機しているところで、20時30分頃帰宅の途についた。
 

時刻は19時16分、かなり暗い。高感度でストロボなしで撮影したので画像が荒れている。
灯籠の明かりを引き立たせるためにあえて暗がりにしているのだろうが、柔らかな光源で少し照明があった方がよい 。
画像の中に強くて赤い光が写りこんでいるのは道路整備員が持っている誘導灯であるが、踊りの雰囲気を壊している。
  

ストロボなしで撮影。

ストロボを使って撮影。色合いがかなり違う。


文化協会は子供たちが中心であるが、生の三味線が演奏されていた。
大人は緑色の縞模様のゆかたで統一され、子供たちは思い思いのゆかたを着ていた。
 
 

踊りが終わり、少しくつろいだ雰囲気で「さくら湯」前を通り過ぎてゆく。