双体道祖神の美


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                  (長野県山形村下大池・1795年)


 この頃、なぜか石の造形に愛着を感じる。大分県には国東や臼杵などに、丘陵の岩壁に彫られた巨大な磨崖仏があり、鹿児島県には、田んぼのあぜ道などに田の神様(タノカンサア)と呼ばれるおどけた表情の石像がある。

 一方、九州各地で眼鏡橋が盛んに建造されていた江戸末期、九州から遠くはなれた信州の穂高連峰東部の村々では道祖神が造られていた。現在では眼鏡橋が建造されることはほとんどなくなったが、道祖神は、人々に愛され、信州の山里の文化として定着し、今でも造りつづけられている。

 道祖神という言葉に初めて出会ったのは、松尾芭蕉の『奥の細道』ではなかったかと思う。「春立てる霞の空に白河の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるわせ、道祖神のまねきにあひて、取るもの手につかず」というあの名文であるが、この文章からだけでは道祖神の具体的なイメージは湧いて来ない。

 辞典には、道祖神とは、「悪霊を防いで旅人の安全を守る神」と書かれている。しかし、道祖神が数多く残っている安曇野をたずねてみると、丸い石に浮き彫りにされた男女の像や、道祖神と彫られた文字碑であり、陰陽石や庚申塔と並んで建てられているものもあるが、悪霊とは結びつきにくい。

 芭蕉が奥州へ旅立ったのは1689年であるから、道祖神は江戸初期にはすでに人々の間に広く親しまれていたことになる。時代とともに道祖神信仰が変質して行ったとも考えられるが、愛らしい石像に日々の平安を託したのであろう。

 春、残雪をいただいた穂高の青い山並みがつづく安曇野では、桜や林檎の花が咲き、村の辻々では道祖神がやさしく迎えてくれる。

                                 『眼鏡橋巡礼』紀行文より抜粋


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