廃墟の風景

別子銅山跡 東平(とうなる)

2014/5/21-22
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旧別子で採掘された鉱石や精錬された粗銅は、第3通洞、索道、下部鉄道によって惣開精錬所に運ばれ精製されていた。

標高750mの山中にある東平は、旧別子と下部鉄道との中継基地で、その中心施設は索道場であった。索道場は、貯鉱庫と索道基地からなり、明治38年(1905)に開設された。

旧別子から東平への鉱石運搬に関連する遺構、東平の遺構、東平と遠登志の中間にある遺構をたずねた。

大正4年(1915)、第4通洞の開通により鉱石運搬が東平を経由しなくなり
貯鉱施設は端出場へ移されたが、採鉱本部は昭和5年(1930)まで東平に置かれた。東平にも採掘坑があり、昭和43年(1968)まで町としてのにぎわいを見せていたという。

参考サイト マイントピア別子/東洋のマチュピチュ

        旧別子銅山へ行こう

        別子銅山 近代化産業遺産
 
 
遠登志(おとし)渓谷入口にある、鉱石を運搬した仲持ちの像と酒井黙禅の
  
「土佐越えの  遠登志の橋や   山桜」の句碑。

(1)索道場跡
県道からカーブの多い山道を5kmほど走ると、東平の駐車場へ着く。駐車場のすぐ東の崖下に索道場跡がある。


索道場は3段になっている。最上段が貯鉱庫、上段が選鉱された鉱石の貯鉱庫、下段が索道基地、一番手前の煉瓦は索道施設の一部と思われる。
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上から見下ろす。手前が貯鉱庫、その下が索道基地。午前8時、朝の光がまぶしかった。


貯鉱庫の美しい石積み。


貯鉱庫へ下る階段はトロッコ軌道、つまりインクライン跡。


美しいシャクナゲと煉瓦の遺構。


横から見下ろす。左の貯鉱庫が2段に分かれているのがよく分かる。右が索道基地、遠くに新居浜の町。
貯鉱庫のむこうに階段が見えるが、ここにインクラインからのレールが分岐していた。インクラインは、生活用品や資材の揚げ降ろしに使用された。

(2)第3通洞から貯鉱庫
駐車場から700mほど進んだ突き当たりに第3通洞がある。
第3通洞は、旧別子の東延斜坑と繋がっていて、長さ1795m、明治35年(1902)の完成。


採鉱本部跡の広場。左手に第3変電所、右奥に第3通洞がかすかに見えている。
大正5年(1916)、採鉱本部を山頂に近い旧別子の東延からここに移したが、昭和5年(1930)に端出場へ移転した。


第3変電所は明治37年(1904)の完成で、第3通洞の坑内電車へ電気を供給するために電圧調整と直流変換を行った。


第3通洞坑口。


第3通洞から採鉱本部の端に沿って電車軌道があたようであるが
  すぐ近くに火薬庫跡が残っている。


火薬庫跡をすぎ、ふたつのトンネルを経由して鉱石が運搬された。左は大マンプ、右は小マンプと呼ばれた。マンプは坑道のことである。
小マンプは通行でき、トンネル内に当時の運搬機器が展示されている。

(3)保安本部
第3変電所と同じ明治37年(1904)完成の建物と考えられている。
明治期は配電所、大正期は林業課事務所として、その後保安本部として活用された。
 

(4)遠登志から東平関連の遺構をたずねる。
地形図を見ると、鹿森ダム付近から東平への道が描かれている。機械力のない時代、鉱石運搬経路の一つだったそうだ。
県道沿いの看板には、東平第3通洞まで90分、銅山峰ヒュッテまでさらに60分、銅山峰までさらに30分と書かれている。

2013年9月に来たとき、東平への車道ががけ崩れで通行止めになっていたので、新居浜市の観光協会に遠登志からのルートについて確認したところ
危険な箇所があるかもしれないので、そのルートはお勧めできないといわれた。橋も通れないようで遠登志渓谷入口も閉鎖されていた。
今回は遠登志渓谷へは通行が可能になっていたので、遠登志と東平の中間付近にある遺構をたずねることができた。

 
登山口から5分、遠登志橋を渡る。この橋は登録有形文化財。
明治38年(1905)の建造であるが、橋脚付近のアーチ部分のみが当時のままでほかの箇所は改修されているという。

 
遠登志橋から40分ほど登ると、右手と前方に四角い煉瓦の遺構が見えてきた。
これが坑水路会所で、坑内排水を会所で溜めることによって、流れの向きを変える役割を果たしていた。
第3通洞から新居浜惣開まで総延長16kmあまりの坑水路を建設し、途中の山根収銅所で安全な水にして海に流した。
これによって、鉱害による環境汚染を防ぐことができたのである。


さらに3分ほど進むと左下に煉瓦の遺構が見えてくる。これが東端索道中継所で、東平・端出場間の索道の中継所である。
東平、端出場、両地点が直線で結ばれていなかったため、索道のロープの方向転換をするためのものであった。




登山道から建物へはちゃんとした道はなく、谷に木とロープで作られたハシゴがかけられていた。ハシゴは湿っていて滑りやすく、建物へたどりつくのに手間取った。

屋根は完全に崩れ落ち、壁だけがかろうじて残っていた。今回の東平探訪のなかで、最も廃墟らしい風景だった。









 

 

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