廃墟の風景

御所ヶ谷城跡

2015/8/28、9/4
FinePix X100
参考資料 行橋市/御所ヶ谷神籠石 パンフレット(表) パンフレット(裏)

唐・新羅の連合軍によって滅亡した百済を救済するため送られた倭国軍は、663年に白村江(はくすきのえ)で大敗し撤退した。大和朝廷(天智天皇)は、唐・新羅の侵攻に備え西日本各地に防塁や朝鮮式山城を築いた。

筑紫に大宰府政庁を直接防衛するための水城(みずき)、筑前に大野城(おおのじょう)、肥前に基肄城(きいじょう)、肥後に鞠智城(きくちじょう)、対馬に金田城(かねたのき)、長門に長門城(ながとのき)、讃岐に屋嶋城(やしまのき)、大和に高安城(たかやすのき) であった。

福岡県行橋市の御所ヶ谷城跡も、同じ目的で同じ頃に建造されたものと思われる。周囲約3kmの広大な城跡である。
城跡の石垣が祭祀遺跡ではないかとされた時期があり、御所ヶ谷神籠石(こうごいし)と呼ばれている。

真東に瀬戸内海があり、その先に大和がある。この近くには瀬戸内海を経て大和と大宰府を結ぶ官道が通っていた。
御所ヶ谷城跡のある山を越えた西側の香春には、官道を行き来した万葉人たちの歌がのこされている。

 
  御所ヶ谷神籠石推定復元図〜行橋市作成のパンフレットより転載。
御所ヶ谷城跡へは、
国道201号線の勝山町新町交差点から県道58号線へ入り、津積交差点で御所ケ谷神籠石の案内標識にしたがって町道を1.5kmほど進む。
町道終点の住吉神社そばに広い駐車場があり、さらに林道を600mほど進むと林道の終点に登山口駐車場がある。

ここへは以前に登山目的で来ているが、今回は、中門、東門、礎石建物跡、貯水池の馬立場石塁、西門など山麓を散策した。
下の駐車場から歩いて中門へ、中門から西側の遺構をめぐり中門へ戻り、東側の遺構をめぐって下の駐車場へ。約2時間だった。


住吉神社近くの駐車場にある御所ヶ谷神籠石の石碑。

林道終点の駐車場。ここが登山口。


登山口から5分ほどで中門。中門からつづく石塁は御所ヶ谷城跡でもっとも規模が大きい。

石塁は2段で、下段には水門があり水が流れ出している。


景行天皇が熊襲征伐の際に立ち寄ったと伝えられ、中門から5分ほど登ったところに景行神社がある。
神社裏にある礎石は、景行天皇の行宮(あんぐう)跡とされているが、御所ヶ谷城の建物跡と考える方が自然である。

ここから100m下った湿地に、馬立場石塁という貯水池の堤跡がある。


馬立場石塁。 2015/10/25 FinePix X100


中央部が大きく崩れた西門。中央部を川が流れていて、その侵蝕と劣化によって崩れたのであろう。


反対側から西門の左側の石塁を見る。


右側の石塁を見る。


中門から東門へゆく途中で見えた北側の風景。平尾台の山並みは1300年前と変わっていないのではないだろうか。


東門は片側の石塁のみが形をとどめている。


東門から少し登ったところにある崩壊した石塁。


中門と登山口の中間に、ヒモズルというシダ植物が自生している。
国内では、九州と本州の一部で確認され、絶滅危惧種に指定されている。


御所ヶ谷には、中門と西門を通る2本の川が流れ住吉池に注いでいる。
中門を通っている川の下流に養老の滝がある。

御所ヶ谷北方のみやこ町には、6世紀後半から7世紀初めにかけての古墳は残っている。御所ヶ谷城よりも100年くらい前のものである。
また、豊前国府や豊前国分寺も近くにあった。これらは、この地が古来より重要な地であることを物語っている。


黒田小学校の隣にある橘塚古墳。


橘塚の西方にある綾塚古墳。


八景山にある甲塚(かぶとづか)方墳。橘塚や綾塚は円墳であるが、この古墳は長方形で、長さ約46m、幅約35m。

 
みやこ町国作にある豊前国府跡。奈良時代から平安時代にかけて、全国に国庁が置かれたそのひとつ。

 
みやこ町国分にある天平13年(741)創建の豊前国分寺。三重塔は戦国時代に焼失し、明治29年(1896)に再建された。