廃墟の風景

広島湾要塞跡

2016/3/10
K-7  EOS 5D
   
広島湾要塞は、ロシアのバルチック艦隊が広島湾や呉軍港ヘ進入するのを阻止するため、1897年から1903年にかけて建造された。
建造後一度も実戦で使用されることなく、1926年に廃止された。
日露戦争に勝利した日本は、韓国併合、満州国の建国、日中戦争などにより世界から孤立し、日本史上最悪の悲惨な時代をむかえる。
広島湾要塞は13か所に砲台が設置されたが、比較的保存状態がよくて行きやすい4か所の砲台跡をたずねた。

■大空山(おおぞらやま)砲台跡
/1903年/呉市
大空山公園にある。北から南へ大空山公園を経由する道があり、車で行けるが道幅が狭い。
太平洋戦争中は、対空防衛のための高射砲基地として使用されたようである。

 
砲座跡よりやや下にある蒲鉾型の弾薬庫。北から登山道を登っていくと、最初に目に入る。


円い砲座跡が残っているが、ここに大砲が据えられることはなかったという。


手前は指揮所、むこうの建物は倉庫。


監視所があった場所は展望台になっているが、その下に石造りの建物が残っている。


監視所へのコンクリート製の階段。


監視所下の建物の入口。石の造形が美しい。

■高烏(たかがらす)砲台跡/1902年/呉市
音戸の瀬戸公園の高烏台にある。2車線ではないが道幅が広く走りやすかった。
太平洋戦争時には防空砲台として使用されたという。 関連ページ平家物語への旅/音戸



 
兵舎跡は石造りの重厚な建物。木造の屋根は朽ち果てて、今はない。


砲座跡。


砲側庫入口。

■大君(おおきみ)砲台跡/1900年/江田島市
東能見(のうみ)島の東南端・常ヶ石崎にある。県道121号線沿いに標識があり、約300m、徒歩5分ほどで到達できる。
砲台跡は個人所有になっているようで、いろいろなものが雑然と置かれていた。


旧大柿町観光協会が建てた標識。


門柱の跡ではないだろうか。ここから正面に向かって歩く。


左下を見ると煉瓦造りの建物。これは
探照灯へ電気を供給する電灯所。


右へ進むと、100mほどで
探照灯台跡がある。

  

左へ進むと、砲座跡と倉庫がある。


探照灯台。上への石段が付いている。


内部から外を見る。

この中に
探照灯が設置されていたのであろう

■三高山(みたかやま)砲台跡/1900年/江田島市/土木学会選奨土木遺産
西能見島の西北部の標高402mの砲台山にある。遺構の総面積は6万坪で、北部砲台と南部砲台に分かれている。
県道36号線から砲台山スカイロードと名付けられた、かつての軍用道路を改修した登山道があり、走りやすかった。
砲台山は「創造の森森林公園」として整備されていて、駐車場とトイレがある。


砲台跡から北、広島湾を見る。眼下に三高港、港外にはたくさんのカキいかだ。
この海を通過するロシアのバルチック艦隊を想定して、広島湾を囲む各所に砲台が造られた。


北部砲台への坂道を少し登ると遺構が見えて来る。


砲座跡。


この砲台のものかどうかは分からないが、当時の写真が掲示されていた。


砲座跡付近の遺構。


砲座跡を上から見る。ここには砲座跡が6基ある。


監視所への石段。


監視所跡。屋根は失われている。


倉庫のむこうに兵舎が見えている。

 
兵舎は石造りで、窓と屋根が修復されていた。


南部砲台への石段。


かまど跡だろうか。


倉庫の上に南部砲台の砲座があったようだが確認できなかった。

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