廃墟の風景

稲童いなどう1号掩体壕えんたいごう

行橋市指定文化財
10/9/15 LUMIX DMC-FX35
   

掩体壕とは、軍用機を空襲から守るための格納庫である。太平洋戦争時、築城(ついき)海軍航空隊の施設の一部として造られた。
県道25号線沿いに真新しい案内標識と見学者用の駐車場があり、行橋市がその保存に力を入れていることがよく分かる。
大型機用の格納庫で、入口幅26.8m、入口高5.5m、奥行き23.5m、盛土幅42m、盛土高8.5m。鉄筋コンクリート造り。
南1kmの所には航空自衛隊築城基地があり、すぐ東の海の上を物凄い爆音を立てて飛び立って行く。




   

筆者は当時の築城村に生まれ、小学校6年生まで築城村で暮らした。
父は八幡製鉄所へ日豊本線と鹿児島本線を使って通勤していた。当時は日豊本線電化前で通勤時間がかかるため、小学校4年生のときに八幡の社宅へ引っ越したが、筆者は築城村に残り祖父母と暮らした。
当時はアメリカの占領下にあり、築城基地もアメリカ軍の管理下にあった。村にはアメリカ兵相手の横文字の店が増え、近所にも黒人兵と日本の女が住んでいた。小学校の給食はアメリカ軍払下げの脱脂粉乳とコッペパンだった。クジラの竜田揚げなども食べたような気がするがあまり記憶に残っていない。小学校から基地へ見学に行くとチョコレートやガムをくれた。
築城基地が返還されたのは昭和32年(1957)だったが、アメリカ軍はその1〜2年前に撤退したのではないかと思う。
昭和30年(1955)、八幡の中学校へ進学するために築城村を離れた。築城では確か2度大火事があった。この頃にも火事があり、駅舎や駅前は火事で燃え、駅舎のない築城駅から列車に乗ったことをおぼえている。
この
掩体壕は1年くらいしか使われなかったが、筆者とほぼ同じ時間を刻んでいることに親しみを感じた。 

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