廃墟の風景

石見いわみ銀山遺跡

2011/11/5 PENTAX K10D
   
石見銀山が「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界文化遺産に登録されたのは2007年7月だった。
鉱山遺跡、銀山の経営を支えた鉱山町、銀の積出港、銀を運んだ道、中世の山城などから構成されている。
石見銀山のある大森へは世界遺産登録前に2度行っているが、大森の町並みや羅漢寺の石造アーチ橋な
どが目的で、銀山遺跡をじっくり見たことがなかった。


■本谷(ほんだに)から石銀(いしがね)へ
本谷入口の原田駐車場から仙ノ山の頂上付近にある石銀集落跡まで50分の山登りである。
   

本谷入口から銀山である仙ノ山を見る。
朝から断続的に雨が降っていた。本谷入口の原田駐車場に到着したのは7時すぎ。駐車場は普通車15台くらい、バス2台で、思っていたよりも広かった。土曜日ではあるが、この時間には誰もいなかった。

登山靴に履き替えて歩きはじめる。最初は比較的広い砂利道であるが、10分ほど歩いた金生坑から先は本格的な山道になる。ちなみに、銀山の坑道のことを江戸時代までは「間歩(まぶ)」と呼び、明治時代以降に開発された坑道は「坑」と呼ばれている。現在、約600の採掘跡が確認されている。

本谷入口から20分で、石見銀山最大規模とされている大久保間歩、30分で釜屋間歩と岩盤加工遺構、40分で本間歩、そして50分で石銀集落跡の原っぱに達する。

ここに至る途中には、世界遺産センターが設置したトイレ、階段、説明板などの建造物があるが、これらを除けば本谷の全体が廃墟そのものである。
 
    

下金生坑

金生坑


大久保間歩。中央に入口が見えている。江戸から明治にかけて開発された坑道で、徳川家康によって初代奉行に任命された大久保長安が、
馬に乗ったまま坑道へ入ったという伝承から命名された。予約制ではあるが、金・土・日・祝日には内部が公開されている。


釜屋間歩は、備中出身の安原伝兵衛が夢のお告げで慶長年間に発見したといわれ、産銀量を飛躍的に増やした。
2003年の発掘調査で、岩盤を加工した平坦地や坑道、平坦地をつなぐ階段などが発見され、岩盤上に選鉱施設があったと考えられている。
     

岩盤加工遺跡へ続く階段。

岩盤には加工した跡があちこちに見られる。
    

主要な間歩ということで本間歩と呼ばれている。

石銀集落への急坂の道。
    

石銀千畳敷とよばれた鉱山都市があった。

石銀千畳敷の説明板の横に間歩。
   
■銀山地区
かつて銀山地区は柵に囲まれていて、道路には番所が設けられていた。
銀山公園から龍源寺間歩まで徒歩40分。道の両側には風情のある建物や鉱山遺跡がある。雨にもかかわらずたくさんの観光客が歩いていた。
    

江戸時代初期の精錬所・下河原吹屋跡。うしろの建物は展望台。

展望台から吹屋跡を見る。


清水谷精錬所跡。明治28年(1895)に建造された近代的な精錬所だったが、銀の品質が悪く1年半で操業を終えた。
    

水抜きのために掘られた新切間歩。

福神山間歩は幕府直営の御直山おじきやまではなく個人所有の自分山。
    



常時見学可能な龍源寺間歩で通りぬけができる。
代官所直営の御直山五ヶ山のひとつで、江戸中期に開発された。
    

昆布山谷の佐毘売山さひめやま神社の裏方にある新横相間歩。

龍源寺間歩の少し北にある紺屋間歩。

確認されている約600の採掘跡のうち、龍源寺間歩をはじめ、釜屋間歩、新切間歩、大久保間歩、福神山間歩、本間歩、新横相間歩の
7つの間歩が国の史跡として指定されている。今回の探訪で、これらの間歩すべてをたずねることができた。

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