廃墟の風景

別子鉱山下部鉄道跡

2013/9/12-13
EOS 5D/24-105
    
住友別子鉱山の鉄道は、山岳部の上部鉄道と平野部の下部鉄道がある。

上部鉄道は、標高800m付近から1100m付近に敷設された山岳鉄道で、山岳部で採掘され、人や牛によって山越えで運ばれた鉱石を運搬していた。後に、坑道から直接、通洞といわれるトンネルを使った運搬に変更され、上部鉄道は廃止された。

下部鉄道は、現在マイントピア別子という観光施設になっている端出場(はでば)から銅鉱石を精錬所や港湾へ運搬するために敷設されたが、旅客営業も行う地方鉄道だった。

明治26年(1893)惣開(そうびらき)〜端出場開通、惣開には精錬所があった。
昭和11年(1936)新居浜港〜星越開通、四阪島の精錬所などへ銅鉱石が運ばれた。
昭和17年(1942)星越〜新居浜開通、国鉄新居浜駅への連絡線だった。

1960年代後半から1970年代後半にかけて廃止され、40〜50年が経過しているため、市街地にはその痕跡がほとんど残っていない。

昭和52年(1977)に廃止された惣開〜端出場のうち、市街地から離れた山根から端出場までは往時の面影があり、今回この区間を探索した。所要時間は往復80分だった。

なお、端出場から先は途中から第4通洞と打除(うちよけ)に分岐しているが、端出場〜打除には遊園地気分の観光列車が走っている。端出場については「別子銅山跡 星越・山根・端出場」に掲載する。


    参考サイト 廃線探索 住友金属鉱山下部鉄道
  
  上部鉄道で使用され、後に下部鉄道でも使用さ
  れた別子1号蒸気機関車。銅山記念館に保存。
   
■山根駅跡
内宮神社の石段の横に山根収銅所がある。かつての山根駅跡、ここから廃線歩きをはじめる。
水路によって運ばれてきた坑内排水は、山根収銅所のジグザグ構造の水路を通る途中で銅成分が取り除かれる。
山根収銅所は明治38年(1905)に開設され、河川や土壌の汚染を防止するため100年を経た現在も稼働している。
山根収銅所の詳細についてはこちら

   

山根収銅所の中に山根駅のプラットホームが残っている。

水路施設の左手に線路、正面に山根精錬所跡の煙突が見える。
   

山根収銅所のやや傾斜したジグザグ水路を水が流れる。

内宮神社の石段の下を通って
山根収銅所へ水路が続いている。
   
■物言嶽(ものいわだけ)トンネルと車屋トンネル
   

物言嶽トンネル北口。

廃線跡には坑内排水の水路。
   

車屋トンネル内部。

車屋トンネル南口。
 
■黒石駅跡と水路跡
端出場に近いところに黒石駅跡がある。ここから端出場まで徒歩10分かからない。
    

プラットホームが残っている黒石駅跡から山根方を見る。

かつての水路の橋脚。
   
■檜尾川(ひのきおがわ)橋
この区間唯一の橋。現在のコンクリート橋は昭和6年(1931)に再建されたもの。
   

いわゆる鉄橋ではなく、親柱と欄干がある。

県道から見るとアーチ橋であることが分かる。
   
■端出場
檜尾川橋から5分ほど歩くとマイントピア別子に至る。
境界には柵がありこれ以上前進できず、翌日、マイントピア別子の駐車場の北端から探索を再開した。
    

端出場へつづくトンネルの南口。

廃線跡は上段と下段の2段になっている。
    

線路跡はトンネルをぬける。

鉱山用のトロッコが置かれたこの先に観光列車の駅がある。

廃墟の風景