廃墟の風景

旧日本セメント香春工場

 
旧日本セメント香春工場は、日田彦山線香春駅の西にあり、国道201号線と国道322号線の間のかなり広い面積を占めている。

工場の真北に香春岳
一ノ岳がある。北東から採掘場へ曲りくねった道があり、途中南へ分岐して中腹の施設へ続いている。その施設から南へ川と国道をまたぐ石灰岩搬送施設がある。

日本セメント香春工場は、1935年に浅野セメント香春工場として操業を開始し、1947年に日本セメントに社名変更した。1998年に秩父小野田との合併により太平洋セメントとなった。

2004年に会社は解散となったが、香春岳での採掘は行われており、工場には人や車の出入りがある。

奇しくも日田彦山線を本格的に撮影するようになったのが2004年だった。

廃墟のページに掲載するのは大変失礼かと思うが、廃墟にならないようにという期待を込めて、日田彦山線撮影の折には工場に立ち寄ってみようと思っている。


関連サイト 日田彦山線〜香春岳や工場バックの写真あり









        

  
■2016/11/17  EOS 7D/18-135

香春町総合運動公園から香春町の中心部を遠望する。
右に香春岳、その下に赤い柱の石灰岩の搬送設備、左手一帯が旧日本セメント香春工場。
工場の真ん中あたりに2本煙突があったが、今は左手の1本のみ。



石灰岩は山頂で分別され、
良質なものは、寒水石(結晶質石灰岩)としてトラックで苅田港へ、そして東北の工場へ船で運ばれ、紙の白色材などの工業製品に加工されている。
炭酸カルシュウムの純度が低い石灰岩は、山頂からの立坑、中腹の建屋、そしてコンベアで麓の工場へ運ばれ、セメント原料として販売されている。

〜この情報はこちらからいただきました。

寒水石を販売している原鉱業のホームページでは、香春岳の寒水石を次のように説明している。
古き時代より白色を基本とする建築土木材料は、城・神社・寺院・屋敷・住宅などの内外装壁、それをとりまく庭園・広場などの各種の景観材として
用いられてきました。このように白色は、生活空間を形成する広域性・陰陽性・整合性に優れ、生活美意識を格調高く飾り上げております。
寒水石は、この白色をベースにした純白質天然砕石として急速な建築土木技術の進歩と同行し、何世紀に渡り変わらぬ高度な品質を作り上げて参
りました。香春岳寒水石は、全国各地に広がっている石灰岩の中でも、もっとも優れた品質を保有し、寒水石として最高峰に到達した製品です。


香春岳から工場へ石灰岩搬送施設のコンベア。


桁に支えられたコンベアが川を渡っている。


工場横の国道沿いのイチョウ並木。もう少しで真っ黄色になる。


工場前から香春岳を見る。左手の門には香春鉱業(株)と書かれている。


田んぼから見る。


民家の屋根越しに見る。


香春町総合運動公園から工場を見る。まだ煙突は健在。クレーンは解体作業のためのものだろうか。

■2016/12/18  EOS 7DU/18-135・10-18

東側の国道付近から見る。

南側の野菜畑から見る。


南の田んぼから見る。ほかの場所からは見えない建物と建物を結ぶコンベアのようなものが見える。石灰岩の搬送施設だろうか。


南側の国道下から。


東から。手前は太陽光パネル。


青空に飛行機雲。40年ほど前、右手にはボタ山があった。今は平らになり、太陽光パネルが設置されている。


1974年5月25日撮影。田川線にSLを撮影に行った先に撮影したもので、勾金駅付近から撮影したものと思われる。


1980年3月15日の風景。右手にはボタ山があり、香春岳もまだ尖っている。折しも、日田彦山線の気動車が通過してゆく。
川の手前には建物があり、日本セメント香春工場専用線の線路が見える。
日本セメント香春工場専用線は1986年10月に廃止され、廃線跡は道路になっている。


1982年9月14日、添田線・香春〜上伊田、現在の一本松駅付近で撮影。添田線(香春〜添田)は1985年4月に廃止になった。



日本セメント香春工場専用線へは、1989年2月4日に一度だけ立ち寄ったことがある。おとずれたときは、小さなディーゼル機関車がタキという貨車をけん引していた。

夏吉駅構内の踏切には、貨物列車の運行時刻が掲示され、6往復の貨物列車が運行されていた。

この時点では、香春駅ではなく勾金駅を経由して出荷していた。香春工場〜夏吉〜勾金〜苅田港というルートで運搬されていたようであるが、1989年7月に廃止された。


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