廃墟の風景

福岡県の古代城跡

 

唐・新羅の連合軍によって滅亡した百済を救済するため送られた倭国軍は、663年に白村江(はくすきのえ)で大敗し撤退した。
大和朝廷(天智天皇)は、唐・新羅の侵攻に備え西日本各地に防塁や朝鮮式山城を築いた。

筑紫に大宰府政庁を直接防衛するための水城(みずき)、筑前に大野城(おおのじょう)、肥前に基肄城(きいじょう)、肥後に鞠智城(きくちじょう)、
対馬に金田城(かねたのき)、長門に長門城(ながとのき)、讃岐に屋嶋城(やしまのき)、大和に高安城(たかやすのき) であった。

これらの山城以外にも福岡県には古代山城跡があり、神籠石(こうごいし)と呼ばれている。
行橋市の御所ヶ谷城跡は別途掲載済みなので、御所ヶ谷以外の古代山城跡を掲載した。

■雷山(らいざん)神籠石/前原市 2015/9/29 K-7


この図は、北水門近くにある説明板に描かれていたものであるが、南北が逆になっている。

真ん中にある青いのが不動池。灌漑用水を確保するために、戦前の1936年に竣工したダム湖である。

この図の上が山側、下が海側で、水は上から下へ流れている。不動池の両端より少し離れたところにあるのが、雷山
神籠石の南水門と北水門であり、不動池ダムの建設によって破壊されることなく守られた。

水害や老朽化で南水門は原形をとどめていないが、北水門はきれいに残っている。

北水門から左右に弧を描いているのが神籠石の列石で、北水門の両端ではっきりと確認できる。

不動池の右側、つまり西側に林道があり、未舗装ながらも南水門近くを経由して北水門近くまで車で行ける。

雷山の標高は955mであるが、神籠石が築かれているのは標高400mから480m。山城の規模は、東西300m、南北700mに及ぶという。


地形図にも載っている史跡雷山神籠石の碑。
不動池ダムの建設の4年前の1932年に建立。


南水門跡。
不動池に流れ込む小川に残っているのは水門の石ではないだろうか。


北水門付近から雷山を見る。手前には不動池の堤が見える


北水門のすぐ近くにある江戸時代の領境石。境という文字が見える。


北水門内側。石組みが美しい。


北水門外側。排水溝の前に倒木。


北水門から東側の列石。


北水門から西側の列石。雷山の神籠石は杉や雑木の中に埋もれて目に付きにくいが、北水門近くでは樹木に邪魔されずに見られる。

■女山(ぞやま)神籠石/みやま市  2015/9/29 K-7

ここ地図は、の神籠石列石のそばにあった立派な陶板製である。

色褪せる心配はないものの、風雨によって汚れてくるだろうが、この時点ではきれいだった。天気がよかったので木の影が映ってしまったが、画像処理で何とか救済。

やや右に傾いているものの、上がほぼ北。
西側に4か所水門がある。南の白い線が列石が残っている場所、東西の白い破線は列石推定線。

茶色が道路で、東側の市道及び東側の道路から駐車場までの林道は普通車の離合が可能。

近くを車で走っていると、卑弥呼という文字を目にすることが多い。ここ女山は邪馬台国の九州大和説の舞台でもある。

墳丘のような展望所に登ると、西と北の展望がよい。

 

市道から日子神社の鳥居をくぐり、小川沿いに50mほど進むと横尾谷水門がある。
水門は4基あった。原形をとどめているのは横尾谷水門と長谷水門で、源吾谷水門は破壊された。
もう1基の希産女谷水門は破壊後復元されたというが、立入禁止の看板があった。

 
梅野家の入口に長谷水門の案内板があり、女山を背景に門柱の向こうに住居が見える。
門を入り引いだり手に進むと、みやま市が建てた大きな木製の説明板があり、谷を少し進むと水門が見えてくる。
水門は草に埋もれていた。行橋市の御所ケ谷
神籠石のように定期的に草刈などをやっている訳ではなさそうなので、仕方のないことである。
帰りに、梅野の奥様と思われる人に出会った。にこやかにそして上品に応対してくださった。入る前に挨拶しておくべきだったかと思った。


南側の神籠石列石。


展望所からの西北方の風景。

■高良山(こうらさん)神籠石/久留米市 2015/9/29 K-7  参考サイト 久留米の遺跡を歩こう「高良山神籠石」


高良大社へ向かう坂道の途中に第二鳥居がある。鳥居をくぐるとすぐに石段で、石段は高良大社へ続いている。

図の茶色の丸い点線が神籠石の列石が残っているところで、かつては、高良大社本殿の後ろに、左右からつながっていたようだ。

第二鳥居から馬蹄石のところまで行き、少し戻って丸い点線の列石に沿って、大学稲荷神社入口付近行く。または、その逆でもよい。

駐車スペースは、第二鳥居前と大学稲荷神社入口付近にあるが、おとずれたときは第二鳥居前の駐車スペースが一杯だったので、大学稲荷神社入口付近から馬蹄石を往復した。

日暮れまでに飯塚市の鹿毛馬神籠石に着きたかったので、時間が足りず、大学稲荷神社からさらに上に続いている列石を見れなかった。


大学稲荷神社入口近くにある列石。


本殿への石段近くの小川に南谷水門跡と思われる石が残っている。


南谷水門跡近くの列石。1300年の風雪を経た列石と今を生きる緑の草の対象が美しい。

 

本殿への石段そばに馬蹄石というのがある。
説明板によれば、高良の神馬の蹄(ひずめ)の跡だという。石の柵に囲まれた中をのぞいてみると、そのように見えなくもない。
説明板には、これこそが神籠石で、この石が高良山神籠石の起点であり終点になっているという。

■鹿毛馬(かけのうま)神籠石/飯塚市 2015/9/29 K-7


飯塚市立頴田(かいた)中学校の前に県道476号線がある。
県道を1kmほど南下すると、左手に森をバックに看板が見えてくる。



この小山の標高は76m、山城というには標高が低すぎる。
交通の要衝でもなさそうなこの地になぜ城が築かれたのか謎である。
ここには水門跡が1か所、そして約2km・1800個の列石が残っている。


水門跡の石組み。


列席に緩みはないが、枯れ枝に埋もれつつある。