廃墟の風景

児島湾干拓施設群

2014/5/19
PENTAX K20D
参考サイト 児島湾干拓の樋門群

岡山県の児島湾干拓事業は、江戸時代に始まり、明治期に入ってから堤防や多くの樋門が設けられた。
樋門としての役割を終えたものがほとんどであるが、中には現役の樋門があり、廃墟の風景とは言いがたい樋門もある。
宇野線常山駅付近の干拓堤防から北上して探訪したが、見落としたものや、時間不足で見れなかったものがある。

■高崎干拓堤防/明治38年(1905)

左が第1区第1号干拓堤防、右が第1区第2号干拓堤防。

■常川樋門/
明治33年(1900)頃


 
桜の木の下に埋もれるようにしてあった。そばに大伴旅人と西行の歌碑があった。ふたりがおとずれた頃、児島はまだ島だった。
大和道(やまとじ)の 吉備の児島を 過ぎてゆかば 筑紫の児島 念(おも)ほえむかも 大伴旅人
立て初むる 糠蝦(あみ)とる浦の 初竿は 罪の中にも 優れたるかな 西行

■片崎樋門/明治33年(1900)頃


案内標識がなく、この樋門も分かりにくい場所にあったが、近くへ行ってみると立派な干拓記念碑がたっていた。

■桜馬場樋門/
明治37年(1904)

煉瓦と石を組み合わせた美しい樋門。グランド横の小高いところに柵に囲まれて保存されていた。

■丙川(ひのえがわ)三連樋門/
明治37年(1904)

三連の樋門で、現役のようである。

廃墟の風景