廃墟の風景

三池炭鉱三川坑跡

2015/7/18
PENTAX K-7/16-45

昭和8年(1933)当時の三池炭鉱は、宮浦、万田、四山の3坑体制だったが、老朽化により新坑開発が必要となっていた。
そこで、西方の有明海の海底下に向かって、傾斜角度11度、長さ2000mの斜坑2本の開削が計画された。
昭和12年(1937)に斜坑の掘削を開始し、昭和14年(1939)に第一斜坑、昭和15年(1940)に第二斜坑が完成し、同年10月出炭を開始した。

日産2万トン・年産600万トンを誇ったが、戦後の石炭需要の落ち込みから出炭量が減少し、
昭和38年(1963)の炭塵爆破事故により、死者458名、重傷者675名、CO中毒患者839名を出す大惨事が発生した。
その後も出炭は続けられたが、平成9年(1997)、三池炭鉱閉山とともに三川坑も閉山した。

万田坑や宮原坑の世界遺産登録により、三川坑の見学の要望が強いことから、土・日・祝日の10時〜17時に見学ができるようになった。
旧三井三池倶楽部の西隣で、三川坑の正門を入った左手に駐車場が設けられている。


三川坑の正門。門柱のプレートには三井石炭鉱業株式会社三池鉱業所とある。
昭和34年(1969)の三井三池争議の時には、門の上の鉄パイプに、「首切り賃下げ絶対反対」の横断幕が掲げられた。もう50年以上前のことになる。
   

池のむこうに事務所。

斜坑への入昇坑口。
   

第二斜坑の坑口。

第二斜坑の坑口建屋から巻上機室へ続く線路。


第二斜坑の坑口から巻上機室へ続く線路。人車点検場と書かれているので、ここでトロッコを点検したのであろう。
右の建物は繰込場。入坑前の鉱員が装備の点検や作業の確認を行い待機した。繰込場前の廊下を通って坑口へ向かった。

 

機械を動かすコンプレッサー室は屋根の崩落が激しくて中は見れないが、建物の隙間から機械の一部や屋外の設備を見ることができる。


説明板がないので定かではないが、構内略図から判断すると、第一斜坑の坑口と第一斜坑巻上機室を結ぶトロッコのデッキではないかと思う。
屋根があるところが人車点検場で、左手先が第一斜坑の坑口であろうが、撤去されて残っていない。
右手後ろに見えている白い橋は有明海沿岸道路のもので、三川坑跡はこの道路によって分断され、わずかに道路から東側のみが残っている。