廃墟の風景

旧門司米穀倉庫

田野浦海岸に残る美しき廃墟
     

04/2/16 *istD/16-45 国民宿舎「めかり山荘」から旧門司米穀倉庫を見る。

2004年3月25日まで田野浦臨港線には、平成筑豊鉄道の金田駅から
三井鉱山セメントの石灰石列車運行されていた。
田野浦の終点より少し手前に旧門司米穀倉庫があり、貨物列車が倉庫の前を通過する姿は鉄道ファンに人気があった。


臨港線貨物最終日の旧門司米穀倉庫前を行く。  04/3/25 *istD/80-200
旧門司米穀倉庫のレトロな雰囲気が好きで、何度この場所へ出かけたことだろうか。

旧門司米穀倉庫は当時も今も立入禁止で、塀や柵で囲まれている。線路にも柵があり、貨物列車が通るときだけ開いた。

2008年9月現在の最新の地形図を見ると、倉庫まで運行休止中であることを示す鉄道の地図記号が描かれているが、実際には、地図記号より300mくらい先まで線路は残っている。現在、臨港線の門司港駅・和布刈を利用した観光レトロ列車の運行が計画されていて、2009年3月中旬から運行がはじまる予定である。和布刈公園駅として予定されている地点から800mくらい先に車庫の設置が予定されている。車庫設置予定地のすぐ先が旧 門司米穀倉庫なのであるが、倉庫前を通る姿を見ることは出来そうにない。→門司港レトロ観光列車

鉄道となるとつい熱が入ってしまって話が横にそれたが、旧門司米穀倉庫に話を戻す。


大正10年(1921)の「米穀法」の制定により、政府買入米の長期備蓄倉庫の新設が推進された。
門司には10棟が建設されたが、床面積は約1万平方メートル(およそ3000坪)という大規模なものだった。
のちに福岡食糧事務所門司倉庫となり、さらに福岡農政事務所の管轄となった。
現在は、
北九州フィルムコミッションが管理して、映画のロケなどに使用しているそうなので、廃墟と呼ぶのはふさわしくないかもしれない。

いつごろから倉庫として使われなくなったのか、調べてみたが分からなかった。
食糧庁は2003年に廃止されたが、2003年よりずっと以前から倉庫として使われなくなったのではないだろうか。


08/9/10 K10D/16-50  東側から見る。
4年半ぶりにたずねた。倉庫前には雑草が生え線路は錆びていた。
切妻屋根の斜めのスクラッチタイル、その下の三角の切妻部の小口タイルは建設当時のままで、屋根は葺き替えられているそうだ。かつては三角形の屋根窓があったらしいが、どのようなものなのか想像がつかない。


北側の埠頭から西側の5棟を見る。埠頭も倉庫も現役のように見えしかも美しい。後方に見えるのは「めかり山荘」。


西側から見る。
   


北側の通りから見る。

西側の線路上の門。


煉瓦塀のむこうにどっしりした切妻屋根が見える。


換気口がある屋根の造形。


火の山から関門海峡越しに見る。08/10/21 *istDS2/50-200


廃墟の風景