廃墟の風景

長登ながのぼり銅山跡

2013/7/18
EOS 5D
参考サイト 長登銅山跡(長登銅山文化交流館)
      長登銅山跡(探訪記録)
    
小郡萩道路(無料)大田ICから車で5分ほど、美祢市美東町長登に日本最古の銅山跡がある。

奈良時代(8世紀)から昭和35年(1960)まで採掘され、江戸時代前期と明治・大正時代の採掘量が多かったという。
奈良東大寺の大仏鋳造のために銅を献上したことから「奈良登り」と呼ばれ、それがなまって、現在の地名「長登」になったとされている。
石見銀山や佐渡金山のような大規模な遺構はなく、往時をしのぶにはいささか不十分であるが、その分だけ廃墟の風情は深い。

長登銅山文化交流館で、紹介ビデオ、展示物などを見て、交流館作成の地図をたよりに散策した。


大切瀧ノ下4号坑の内部から見る。立ち入りは入口付近のみで奥へは立ち入ることはできない。中から冷気が出ていてとても涼しかった。
   
■奈良時代に開かれた日本最古の坑道・大切(おおぎり)瀧ノ下4号坑
  交流館から大切谷を進み、榧(かや)ヶ葉山中腹の大切瀧ノ下4号坑まで往復約1時間。
     

銅山跡入口。右側は古代精錬場で鋳造の体験施設。

大切精錬遺跡。説明板があるだけで遺構はない。ここから森へ入る。
    

千人間歩(まぶ)跡。間歩とは坑道のことであるが、草木におおわれていた。

大切竪坑跡。大きな穴のようであるが、草木におおわれてよく見えない。


大切竪坑跡のすぐ先で坂道にさしかかる。ここから先が古代採掘跡。木の階段の遊歩道には盛りをすぎたアジサイが咲いていた。
    

大切瀧ノ下2号坑。絵の具の原料の緑青(ろくしょう)が産出された。

説明板がないので分からないが、3号坑ではないかと思われる。
    


大切瀧ノ下4号坑。
緑青が吹いていて壁が緑色になっている。


■明治から大正時代にかけての精錬所・花の山精錬所跡
  交流館から花の山精錬所跡・山神社(さんじんじゃ)・本誓寺跡・亀山坑を周回して約40分。
    

花の山精錬所跡がある花の山公園入口。

精錬所跡の煉瓦の残骸。
    

溶鉱炉跡。

溶鉱炉から出るからみ(スラグ、滓)が捨てられていた。
 

上から見た精錬所跡。手前の煉瓦の列は、溶鉱炉に風を送るための装置の台座とそれを動かす発動機の台座跡。
   

坑口「四ツ留口」。

精錬所の煙を逃がすための煙道。直径1.5m、長さ90m。
    

昭和9年(1934)建立の長登鉱山千人仏碑。鉱山で亡くなった人の供養碑。

山神坑空気穴。
    

鉱山の守り神・大山祇命(オオヤマズミノミコト)を祀っている山神社。

山神社の軒下には寛文12年(1672)銘の鐘。
    

本誓寺跡。江戸時代前期に建立され大正時代まで草庵があったという。

亀山坑跡。昭和前半期に鉛を産出したというが定かではない。
   
長登銅山跡を見学後、長登の集落に立ち寄った。ここへは、長登の枝垂桜の撮影で2002年に来ており、そのときの記録を見ると長登銅山跡にも立ち寄っているが、長登銅山跡に立ち寄ったことはまったく覚えていなかった。
集落の中にある明楽寺に形のよいイチョウの木があった。樹齢は不明であるが美祢市の天然記念物に指定されている。
このイチョウの木は銅山の盛衰を見てきたのかもしれない。

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