廃墟の風景

長崎台場跡

長崎湾に設置された砲台跡 2016/10/30
PENTAX K-5Us

江戸時代、長崎湾内外にはたくさんの台場が設置された。台場とは海岸線を防備するための砲台のことである。
現在、長崎台場の遺構としてはっきりとした形で残っているのは、四郎ケ島台場跡と魚見岳台場跡のみである。

四郎ケ島台場跡
四郎ケ島台場は、嘉永4年(1851)佐賀藩によって築かれた。

現在の地図では四郎ケ島となっているが、当時の地図を見ると、四郎ケ島と小島があり、このふたつの島を連結する形で台場を造り、神ノ島とは堤防で連結した。

おとずれた日、神ノ島からの堤防や小島から延びた突堤は釣り人でにぎわっていた。

四郎ケ島台場は波打ち際に石垣を築き、その上に台場の諸施設を造った。砲座跡、石積みのトンネルなどが残されている。

右の地図は現在の位置関係と同じで、上が北である。小島の東の石垣はないが、小島の西、四郎ケ島の堤防との連結付近、北と南の石垣は健在で北の高石垣は見事である。

台場内は木が生い茂り、案内板がないので道がわかりにくい。また、石垣を見るためには急坂をロープや木をつかんで海岸まで降りなければならない。

所要時間は約70分、楽しい散策だった。
 
 文化遺産オンライン「神ノ島図」より引用


神ノ島から見る。右手が堤防で手前の石垣は当時のものと思われる。
堤防の先の左手が小島で、右手が四郎ケ島。


堤防の石垣は崩れ落ち、堤防はコンクリートで補修されている。
正面が四郎ケ島で、北側の石垣が見えている。


小島の石垣。右端の石垣は緩んできている。正面の円い森の中に四郎ケ島の台場跡がある。
小島から四郎ケ島の森の中に入るには、地図で赤く示された道を行くと石段が出てくる。この石段を登り切ったところが台場である。


台場への石段。


門のような石垣。この間を進むと台場の中に入る。


急坂を海岸へ下りると、南側の海岸線に沿った石垣を見ることができる。

台場内よりも北側の高石垣を早く見たくて、門のような石垣のところへ戻り北側の道を進む。
台場を囲む石垣が左手に次々とあらわれる。やがて、高石垣の一部が見えてくる。






ロープが張られたところから急坂を海岸へ下りる。高石垣との対面である。
この時間帯は満潮のようで、海岸の岩に渡れないので高石垣の全体をうまくとらえることができなかった。
高石垣は一部崩落が進んでいた。


岩を削って砲座を造成しているが、岩に草木が絡んでよく見えない。


砲座から外へのトンネルはふさがれていた。

魚見岳台場跡

魚見岳台場は、文化7年(1810)福岡藩によって築かれた。
魚見岳台場は大久保山の北西の中腹にある。女神大橋から国道を南へ約300m、台場跡への登り口の案内標識がある。
山道を登って行くと下から順に、三の増(まし)台場、二の増台場、一の増台場があり、現在は石垣が残っている。
なお、女神大橋を下りた国道との交差点付近に、道路公園の無料駐車場がある。
散策時間は約20分だった。

 
三の増台場からは長崎湾がよく見える。


二の増台場への石段は摩耗して角が取れている。

 
二の増台場の石垣。

  

一の増台場への石段と石垣。正面の木にはマムシ注意の赤い看板。

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