廃墟の風景

大久野島おおくのしまの軍事遺跡

2011/3/4
PENTAX K-7


    
大久野島をはじめてたずねたのは15年以上前で、明治27年(1894)建造の大久野島灯台を見るためだった。大久野島はそれまで無人島だったであろうから、島の歴史は灯台建設に始まったと言っていい。

明治35年(1902)、日露開戦に備え、北部・中部・南部の3か所に砲台が置かれ16門の大砲が設置された。 ロシアの脅威が薄れ砲台は撤去されたが、その後大久野島は軍と関わりを持つ島となった。

昭和4年(1929)、陸軍が毒ガスの製造を始め、太平洋戦争が終わる昭和20年(1945)まで製造された。

大久野島にはこれらの軍事遺跡が残っている。港から左回りに歩いた。2時間あればひとまわりできる。発電所跡、北部砲台、中部砲台、毒ガス貯蔵庫跡をたずねた。灯台の写真を撮っているうちに船の時刻が迫って、南部砲台は見ていない。

どこでも、野生のウサギが近寄って来て食べ物をねだられた。かつて恐怖の島だった大久野島には、のどかな早春の日が差していた。

 
 大久野島毒ガス資料館

     
■発電所跡
 
毒ガス製造時代の発電所跡は枯れた蔦がぶら下がって不気味だった。うさぎが近寄って来たのでお菓子をあげた。
     
■北部砲台
 
石をベースに煉瓦とコンクリートが使われている。
     
■中部砲台
 
北部砲台から300mほど山道を登った大鉄塔付近にある。
   
中部砲台からさらに進むと展望台がある。
ここは島で一番高い場所、眺めがよい。








   
   
■毒ガス貯蔵庫跡
この遺構は北部砲台近くの西海岸沿いにある。
崩落が激しく、床には瓦礫が散乱していた。

西海岸には、テニスコートやグランドがあり、
いまわしい戦争遺跡とは別世界の平和な風景が見られる。















   

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