廃墟の風景

芸予要塞小島(おしま)砲台跡

2014/5/20
K10D/16-45
小島は、今治市の波止浜(はしはま)港から巡航船で、来島を経由して10分。8時ちょうど発の船に乗り、10時50分着の船で戻った。島内の滞在時間は2時間30分だったが、砲台跡をひとまわりするのに2時間ほどだったので、30分の余裕があった。

ロシア海軍の侵攻に備え、小島砲台が起工されたのは明治32年(1899)、南部砲台、中部砲台、北部砲台の順に起工し、北部砲台が竣工したのは3年後の明治35年(1902)だった。

しかし、日本海海戦でバルチック艦隊が撃沈されたことから、ロシア海軍の脅威はなくなった。次第に要塞としての機能が縮小され、当時の他の要塞と同様実戦に使用されることなく、大正13年(1924)に廃止された。

小島砲台の廃止から90年、比較的いい状態で砲台跡が残されている。


参考サイト 小さい島に大きな歴史



  出典:
今治地方観光協会



小島全景。


巡航船は、来島、小島、馬島を40分で往復する。

(1)探照灯跡
 
夜間に海峡を往来する船の監視を行った。探照灯はなく台座の施設しか残ってない。北部砲台にも探照灯跡がある。

(2)発電所跡

きれいな状態で残されている。

(3)南部砲台跡

要塞の建設には30万円かかったという。
明治時代の1円は現在の2万円くらいの重みがあったとされているので、要塞の建設費は600億円となる。

(4)弾薬庫跡

弾薬庫跡付近に陸軍省の石柱。

弾薬庫跡の外壁は痛みが少なくてきれい。


中に入ってみると、木造・瓦葺の屋根はなく、煉瓦の床の上に崩落した瓦礫が散乱していた。

(5)中部砲台跡

中部砲台はこの要塞の中核となる砲台で、28インチ砲が6門設置され、頂きに司令塔があった。


このような砲座跡が3か所ある。真ん中にある穴は隣のブロックとの連絡用。ここに顔を近づけて話をした。


砲座跡がつづく風景はとても美しい。


兵舎跡。


司令塔跡への石段。

司令塔跡への入口。


指令塔跡。
 

(6)北部砲台跡

北部砲台には軽砲4門が設置されていた。

北部発電所跡。


砲台跡の石組みをさわやかな風が吹きぬける。探照灯跡への道は急坂で、雑草が茂り、行き着けなかった。


上るのをためらうほどの急な司令塔への石段。
かつては、右手にてすりがあったようだ。

指令塔跡。


北部発電所跡付近の分岐から海岸道路を下り、海沿いを港へ戻った。

 

 
帰りの船は、JAPAN POST SERVICE の郵便配達人、ガスボンベの交換に来た人、空の一升瓶が入ったケースを持ち込んだ人と乗り合わせた。

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