廃墟の風景

佐渡鉱山遺構

2012/10/9
K20D,EOS 7D
  

露天掘り跡・道遊の割戸

佐渡金山の歴史は慶長6年(1601)に始まる。
以来、相川にある佐渡奉行所によって管理されていた。

明治に入り、明治政府の所管となり、鉱山の近代化が推進された。
明治22年(1889)、皇室財産となり宮内庁御料局の管轄となった。
明治29年(1896)、入札により三菱合資会社の所有となる。

戦後、鉱山の採掘規模は次第に縮小され、鉱量枯渇により、平成元年(1989)採掘を中止し、388年の歴史に幕を閉じた。佐渡といえば金山であるが、銀や銅も採掘されている。

江戸時代の遺構で公開されているのは、宗太夫鉱と道遊の割戸(どうゆうのわれと)とよばれる採掘跡くらいであるが、明治時代以降の遺構は、広い範囲で見ることができる。

佐渡鉱山の東端にある大立堅坑から西の大間港まで約3.5km。徒歩約1時間の距離であるが、見学と撮影時間を入れ約4時間かけて散策した。

参考にさせていただいたサイト 史跡佐渡金山 
                                  旧佐渡鉱山近代化遺産建造物群調査報告書


大立堅坑付近の大町桂月句碑。涼しさや地底一千二百尺
 


                                                                                                       史跡佐渡金山より転載
地図の右(東)から左(西)へ、以下に掲載する。
     
大立堅坑(おおだてたてこう)櫓
明治8年(1875)、ドイツ人技術者を招いて開削した日本初の西洋式立坑(垂直坑道)で。明治11年(1878)完成。

この竪坑は、東西約3km、南北約600mに分布する佐渡金山の鉱脈群のほぼ中央に位置し、平成元年(1989)まで採掘が行われた。深さは352m。

この鉄製やぐらは、昭和13年(1938)年に日華事変に伴う金の大増産期に建設されたものである。

■大切山坑
この坑口は、寛永8年(1631)に開かれ、慶安2年(1649)まで18年かけて鉱脈に到達した。
 

道遊坑
明治32年(1899)、道遊脈の開発を目的に開削された運搬坑道で、鉱山の各主要坑道とつながっていた。
鉱石を積んだトロッコは道遊坑の西側にある高任坑(たかとうこう)から破砕場へ運ばれ、空のトロッコがこの道遊坑を経て坑内へと戻って行った。
     

坑道にはトロッコのレールが残されている。

トロッコ。

南側の坑道出口。

高任立坑と高任坑
道遊坑の出口付近にある。
鉄製の櫓
(レプリカ)高任立坑、その左にあるトンネルが高任坑の入口。
   
破砕場から続く線路の先に、高任坑の西側の入口がある。

上の南側の入口と途中で合流し、惣徳(そうとく)新坑を経て売店に出る。

機械工場と破砕場

機械工場。中には機械類が保存されている。

破砕場。


機械工場と破砕場の間にある草地(高任公園)からは、道遊の割戸が一望できる。

間ノ山(あいのやま)地区の諸施設
    

中央が変電所、その向こうが2段構えの破砕場、右手の渡り廊下のようなものはコンベアラインで、右端が貯鉱舎。
貯鉱舎から、西の北沢地区にある選鉱所・精錬所へトロッコで運ばれた。川には手前とその向こうに、2基の石造アーチ橋がある。
    

破砕場。上の部分は
高任公園の南端の位置にある。

破砕場の奥に分析所。
    

貯鉱舎からアーチ橋を見る。

第3駐車場から、左に貯鉱舎、右に分析所、正面に破砕場。

2基のアーチ橋は、間ノ山地区と山手の高任の連絡橋として明治37年(1904)に建造された。
上流のアーチ橋は今も現役で、下流のアーチ橋は昭和13年(1938)まで使われて
いた。2基とも国登録の有形文化財に指定されている。
ここには桜並木があり、桜が咲く頃はきれいだろう。

上流のアーチ橋。

下流のアーチ橋。
   
搗鉱場(とうこうじょう)

低品位の鉱石を粉砕し、水銀を用いて金を回収する施設で、明治24年(1891)と明治26年(1893)に、それぞれ第1、第2搗鉱場が完成した。

搗鉱場は大正13年(1924)の火災で焼失し、翌14年(1925)に新設された。

昭和18年(1943)、金から、銅や鉄、鉛などの生産に転換したことに伴い、この搗鉱場も操業を停止した。

現在残されているのは、搗鉱場の基礎部分で、この上に建物があった。

トロッコ跡
採掘された鉱石は、間ノ山の貯鉱舎から西の北沢地区にある選鉱所・精錬所へトロッコで運ばれた。
その軌道跡とトンネルが残っている。
   

トロッコ軌道跡。

トロッコ軌道跡からトンネルへ。
    

佐渡鉱山跡へ向かう道の右側にトロッコ軌道跡がある。右手にそのトンネル、左手には道遊の割戸が見える。

北沢地区の諸施設



浮遊選鉱所。右手は火力発電所は明治40年(1907)の建造で佐渡で最初の火力発電所。


浮遊選鉱所の上から見る。右手の円形の建物はシックナー(泥鉱濃縮装置)。
左手の煙突のある建物は鋳造工場の一部で前の空き地に鋳造工場があった。
     

昭和15年(1940)に完成した直径50mの泥鉱濃縮装置。間ノ山から排出さ
れた泥状の金銀を含んだ鉱石は、この装置で水分を分離し、浮遊選鉱場
では処理された。

鋳造工場では鋳型へ溶けた金属を流し込み、様々な種類の機械部品を製造。製造された機械部品は、仕上工場で最終的な加工が行われた。これは、鉄を溶かすキューポラ。
     

御料局佐渡支庁跡(国指定史跡)。相川郷土博物館として活用されている。

近くの擬洋風建築。
御料局佐渡支庁の施設だろうか。

大間港(おおまこう)
大立・間ノ山・高任地区で採掘され、北沢地区で選鉱・精錬された鉱石を積み出すため、明治14年(1881)に築港された。
 

北沢地区の高台から大間港方向を見る。町並みのむこうの真ん中あたり、煙突状のものが2本見えているところが大間港。
     
   

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