廃墟の風景

佐賀県の神籠石

佐賀県の古代山城跡をたずねる
    
■帯隈山(おぶくまやま)神籠石〜佐賀市久保泉町 2016/7/10 K20D 2016/10/29 K-5Us

川久保交差点から県道51号線を北へ約800m、右手に地蔵
が2体、そのうしろに神籠池の標識と神籠石の説明板がある。



説明板には地図があり、現在地と2か所の見学地が朱書きさ
れている。見学地のひとつは神籠池の南、もうひとつは鳥越池
の西にある。ほかに手掛かりはなく、この地図を頼りにするし
かない。

まず、神籠池南の見学地をたずね、次に鳥越池西の見学地
へむかった。鳥越池近くまで車で行ける。

1964年の発掘調査後埋め戻されたため、神籠石をごく一部し
か見ることができなかった。

 

説明板の地図の下には次のように書かれていた。

神籠石は佐賀市の北部山麓に築かれた古代山城(やまじろ)である。帯隈山(標高175メートル)を中心に切石を並べた列石線が約2.4キロメートルの長さで一周し、途中、北面に門跡1か所、南面に水門推定地3か所がある。昭和16年(1941)に発見され、同39年に発掘調査された。

列石線は帯隈山から天童(てんどう)岳、清兵衛(せいべい)山にかけ、尾根上を地形に合わせて複雑に屈曲し、途中、小さな谷を渡る場合は出水に備えて水門を設けていたと思われる。全体としては北側山頂部から下って南側山裾を廻り、2、3の低丘陵を取り囲んで馬蹄(ばてい)形状をなす。列石の用材は花崗岩(かこうがん)で、高さ60センチメートル前後の直方体に切りそろえられたものである。


町道沿いの田んぼから神籠池の堤防と帯隈山を見る。


堤防の下、一面の緑の中に咲いていた花。サフランモドキ?


土手を薮こぎして上ると、立派な標柱が立っている。


土手から、神籠池越しに帯隈山を見る。


鳥越池西の見学地には説明板があり、土塁の下の部分にわずかに神籠石が見えている。
    
■おつぼ山神籠石〜武雄市橘町 2016/10/29 K-5Us

おつぼ山神籠石は、武雄北方ICから国道498号線を南へ10分ほど、国道わきに見学者用の広い駐車場がある。

武雄市が作成したおつぼ山神籠石のパンフレットの地図にしたがって、駐車場から左回りに歩いた。所要時間は約90分だった。


おつぼ山神籠石は、昭和37年に全国で8番目の神籠石として発見され、翌38年に発掘調査が行われました。その結果、朝鮮式の山城であることが確認され、それまで神域説と山城説で大論争をしていた神籠石の性格に終止符を打った遺跡として学史にその名を残しています。

列石は総延長が1866メートルあり、このうち北端から南西部にかけて列石が抜けて確認できないところがあります。石の大きさは、高さ70cm、厚さ40cmで、残石の数は1313個です。列石の前面には3メートル間隔で10度内傾させた柱穴があり、城壁となる土塁を築くための板を押さえた柱の穴と考えられます。

また、第一土塁の前面では、この柱穴列と列石の間に小礎石が1メートル間隔で発見されていることから、柱穴の柱と小礎石の柱を合掌式に組み合わせて防御柵を構成したとも考えられています。

 

列石の上には幅九メートルの土塁があり、谷間には水門が設けられ、門跡も2箇所が確認されています。土塁の基礎石としての列石は複雑な山の地形に応じて曲線を描いています。特に、水門の部分がおつぼ山神籠石ほど曲線を描くものは他に例を見ない特徴的なものです。




第1水門。上から見ると石垣が弧を描いている。ここに南門もあった。
ここから、東門を経て第1土塁まで約500m、第1土塁から水門推定地の浦田堤まで約500m、遊歩道沿いにたくさんの列石を見ることができる。


東門跡。


緑のコケがついた列石がつづく。


第1土塁。


浦田堤。かつて、ここに水門があったのではないかと考えられている。

これから先、道がわからなくなったので、建設会社の敷地内を通らせてもらい、国道沿いを南下して第2水門へ。

 
第2水門。草が生い茂っていて、吐水口以外はよく見えない。

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