廃墟の風景

猿喰新田さるはみしんでん潮抜き穴跡

2016/2/5
K-7


猿喰新田は、江戸時代の宝暦9年(1759)、大里村の庄屋だった石原宗祐(そういう)によって干拓された。
潮抜き穴は海水が新田内に入り込まないようにするため、唐樋と呼ばれる扉が潮の干満によって開閉する構造で、
干潮時には新田側から排水が行われ、満潮時には扉が閉じて海側からの海水の進入を防ぐ。
潮抜き穴は堤防の両側に2基ずつ計4基が造られたが、現在は東側の2基のみが残っている。
場所は門司学園中学校の東で、県道に案内標識があり、門司学園近くには石原宗祐の大きな顕彰碑がある。


石原宗祐の顕彰碑。


猿喰新田。


コンクリートで補強され使われていたようだ。


こちらには鉄製の水門が設けられている。


堤防と潮抜き穴。右手後方に赤い屋根の門司学園の建物が見えている。

 
新田側の水門。