廃墟の風景

下関要塞・高倉堡塁跡ほか

実戦に使用されることなく廃墟と化した明治の軍事遺構。
    

08/10/8 *istD
この堡塁跡は北九州市小倉南区の高蔵山にあるが、堡塁跡の石柱には高倉と書かれているので、ここでは高倉堡塁と表記した。

下関要塞群は、明治27年(1894)に始まった日清戦争の際に、関門海峡とその周辺を守るために築かれた。高倉堡塁は下関要塞群の一つで、周防灘への備えとして明治33年(1900)に完成し12基の砲台が設置されたが、この砲台から一度も発射されることはなかった。

広場に面してレンガ造りの倉庫が8棟連結して並んでいる。それぞれ、幅が約10m、奥行き約20m、高さ約3mで、全体では80mくらいの幅があり、近くで見ると壮観である。

倉庫の周辺は樹木が邪魔してよく見えないが、後ろにまわってみると、石造りの土台はしっかりとしていて崩れはない。

ここは標高280m、倉庫の入口は真北を向いている。東は関門海峡の東の入口付近で、南は周防灘である。


砲台の石垣。


砲台から倉庫への降り口。

高倉堡塁跡への道
2008/10/8 *istD
県道門司行橋線の「沼本町3丁目」交差点に「高蔵山森林公園」の標識が出ている。この交差点を北へ山に向かって進む。
九州自動車道をくぐりさらに進むと右手に公園駐車場がある。
さらに200mほど進むと、公園広場へ下る直前のカーブに企救自然歩道の道標が見えて来る。県道からここまで3km弱。
ここから
堡塁跡まで約50分。一部坂道があるがほとんどが平らな道なので、くもの巣が多いことを除けば快適な山歩きができる。


10:00
 「企救自然歩道 から足立山へ3200m」の道標。
このすぐ先に左手に登る道がある。


10:05 急坂を5分ほど登ると林道に出る。
 「企救自然歩道から足立山へ800m」の道標方向・右へ進む。

10:15 10分ほどで左手に水場。ここの水は飲まない方が無難。
この先で道は狭くなり、登山道らしくなる。

10:30 さらに15分、三叉路にさしかかる。
 「高蔵山広場1600m」の道標にしたがって左へ。

10:40 10分で楓の木のある広場。高蔵山への登山口がある。
高蔵山広場へは直進する。

10:50 さらに10分、南側の展望が開け、周防灘が見える。
ここから3分ほどで高蔵山広場の堡塁跡へ着く。

下関要塞・その他の遺構
(1)手向砲台跡
2008/10/9 *istDS2

第5号倉庫付近から見る。この倉庫群の上に砲台があったと考えられるが、砲台は樹木におおわれている。     

手向砲台跡は、門司区と小倉北区の境の手向山トンネルの上方にあり、現在は手向山公園となっている。

手向山は、宮本武蔵の養子で小倉藩家老の宮本伊織の所有で、宮本家の墓が山頂にあったが、明治21年(1888)に砲台が設置された際に、墓は手向山の麓に移され現在に至っている。山頂には宮本伊織が建立した宮本武蔵碑があるが、これは第2次世界大戦後に、現在地に戻されたのではないかと思う。

手向砲台の遺構としては、5つの倉庫、探照灯台座跡、発電所跡が主たるところで、倉庫は入口がコンクリートで塞がれている。この砲台も実戦に使われることはなかった。

砲台は、昭和20年(1945)までの57年間、軍の管理下にあり、民間人は立ち入ることができなかった。今は、近隣の住民の散歩コースとして、北九州市民の 憩いの場として親しまれている。
 


第4号倉庫のプレートには「明治二十年九月起工、明治二十一年


入口が地中に埋もれた第5号倉庫。
九月竣工」と書かれている。大砲が設置されたのは明治24年。  

第3号倉庫付近。

東方観測所跡付近からは関門海峡が見える。

探照灯台座跡。ここで夜間の関門海峡を監視した。

火力発電所跡。ここから探照灯へ電気を供給していた。

(2)矢筈堡塁跡 2008/10/19 *istDL

南側に四つ、その向かいの北側に二つ、合計六つの倉庫が残っている。壁の煉瓦は白く塗られている。    

矢筈堡塁跡がある標高266mの矢筈山は、我が家から見える。左手に高層住宅が建って山容全体が見えなくなったが、山頂部ははっきりは見える。この山をほぼ毎日見ている。我が家からは東の位置にあり、この山の向こうから太陽が昇ってくる。朝この山を見ると、その日の天気が予想できる。

山頂部の真ん中あたり、少しくぼんだところに矢筈堡塁があった。矢筈堡塁は明治20年(1887)に起工している。竣工時期は不明であるが、翌年か翌々年ではないかと思う。

山頂へは、門司区の国道3号線小森江バス停付近にある登山口から約40分、登山口には「風師登山道」の標識があり、矢筈山麓から北へ風師山へ行ける。旧小森江貯水池に造られた「小森江子供のもり公園」をすぎ、登山口から約20分で矢筈山への登山道に入る。

登山道は広く、つづら折りの道を約20分で山頂に着く。矢筈山は近隣市民の早朝登山の山で、山頂付近はキャンプ場として活用されている。


山頂入口の石標。


倉庫の上の換気口。


西側砲台座跡。


西側砲台座跡付近から見る関門海峡。

(3)火の山砲台跡 2008/10/21 *istDS2
明治20年代、清国北洋艦隊の襲撃に備え関門海峡とその周辺に20ほどの砲台が設置された。
狭い地域にこれほど多数の砲台が設置されたのは、当時の大砲の到達距離が短く、命中精度が低かったからである。
これらの砲台は使用されることなく明治末期に廃止されたが、下関市の火の山砲台は航空戦の高射砲陣地として昭和期に再整備された。
現在は、廃墟の姿を保ちながら火の山公園として活用されている。

倉庫と兵士の待機・休息の場所を兼ねた兵舎壕。半地下式で壁の材質は石とコンクリート。    


倉庫跡と思われるが現在は来園者の休憩所になっている。


高射砲台座跡。

砲座跡の全景。

砲座跡。

兵舎壕の一部には煉瓦が使われている。

砲台跡付近から見る関門海峡。

(4)古城砲台跡 2011/9/5 K20D
関門海峡をはさんで、火の山の対岸にあるのが古城山。
山頂に中世の門司城があった古城山から国民宿舎めかり山荘のある山岳部すべてが要塞だった。
今はめかり公園として整備され、古城山に倉庫と観測所跡を残すのみである。


めかり山荘前広場に立つ「古城砲台跡」の石碑。


唯一残っている倉庫跡。

倉庫跡から観測所跡への石段

観測所跡。

(5)富野堡塁跡 2011/9/28 K20
小倉の市街地が見渡せる高台に軽費老人ホーム望玄荘がある。
望玄荘の前は一段高くなっていて公園として整備されているが、公園の下に堡塁跡の倉庫群が残されている。
望玄荘を背にして、正面に一つ倉庫があり、左手から奥へ雑草をかき分けて進むと5連の倉庫と両脇に一つずつ合計7つの倉庫がある。
 


望玄荘前の倉庫。


花壇に咲いていた黄色い花。彼岸花の一種だろうか。

建造から100年余、緑の中に埋もれつつある。

上へ登る石段、今は行きどまり。

(6)笹尾砲台跡 2016/2/24 K20 参考サイト笹尾砲台跡
関門海峡を防護するために明治期に門司に設置されたのが、古城砲台、矢筈砲台、そして笹尾砲台である。
笹尾砲台跡は小倉北区との境界に近い笹尾山にあるが、笹尾砲台跡という石標があるだけで案内板など全くない。
はっきりとした遺構は倉庫跡2棟と観測所跡のみで、大砲が据えられた砲座跡はない。
造成によって失われたのか、森の中に埋もれたままになっているのか、定かではない。


笹尾山から関門海峡を見る。中央に北九州貨物ターミナル、左に関門海峡海上交通センター、右手遠くに関門橋。


笹尾山配水池近く、ポツンと明かりを灯したように椿が咲いていた。


笹尾山配水池への階段横に石標がある。


第4号倉庫。


第5号倉庫。
倉庫は煉瓦造りで、上からセメントが塗られている。第1号から第3号倉庫は見つからなかった。


観測所の土台の石垣。まだしっかりしている。


観測所入口。土砂と枯葉でほとんど埋まっていた。

 
建造から120年以上が経過し、まわりの土砂が失われ、コンクリートの風化が進んでいるものの、扇形の観測所は形をとどめている。

廃墟の風景