廃墟の風景

耶馬渓鉄道廃線跡

2011/5/13
PENTAX *istD
    
耶馬渓鉄道の中津〜樋田(のちの洞門)が開通したのは大正2年(1913)、守実(のちの守実温泉)まで全線が開通したのが大正13年(1924)。
当初は軌間762mmのナローゲージであったが、昭和4年(1929)、軌間1067mmに変更された。

のちに大分交通耶馬渓線に名称変更し営業していたが、昭和46年(1971)に野路〜守実が廃止され、昭和50年(1975)に中津〜野路が廃止された。
筆者は全線廃止1週間前に一度だけたずねたことがある。廃線跡は日本一長い 自転車道として活用されている。

■野路〜洞門

野路〜洞門には往時のトンネルがあり、線路跡に沿って元禄2年(1689)に岩盤を掘削して完成させた水路跡がある。
鮎帰(あゆがえり)から第1厚ヶ瀬トンネルまでの約1.5kmを歩いたが、たまに自転車が通るだけでまさに廃墟のたたずまいを見せていた。

鮎帰バス停付近にある自転車道へ入り国道212号線をくぐると、耶馬渓鉄道の線路跡である。
左に田んぼを見ながら1kmほど歩くと、右手に川平間歩(かわべらまぶ)の説明板がある。


   
荒瀬井路は、本耶馬溪町樋田で山国川から取水し、下毛原(しもげばる)の丘陵地を灌漑するために建設された水路である。

貞享3年(1686)から工事に着手し3年の歳月と莫大な費用をかけて完成した。難関は川平間歩とよばれる約1kmの区間の掘削だった。間歩は1番から9番まである。

近代的な工事により新たに水路が造られ、川平間歩は昭和56年(1981)に通水をやめ290年余年間の役割を終えた。

この洞門は、宝暦13年(1763)に禅海和尚が完成させた青の洞門の掘削の手本になったとされている。






 
   
1番間歩からさらに500mくらい進むとトンネルがふたつ続いている。
手前のトンネルが第2厚ヶ瀬トンネル、そのすぐ先にあるのが第1厚ヶ瀬トンネル、どちらも国の登録文化財に指定されている。
トンネルの基部は石造りでアーチ部は煉瓦造りである。建造からやがて100年になるが中を歩いていて安心感がある。
ここは国道から離れた静かな森の中で、あたりには寂寥感が漂っている。
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自転車道の正面にトンネルが見えてくる。

第2トンネルの中から第1トンネルを見る。


第1トンネルの外から第2トンネルを見る。
         


第1トンネルの中から第2トンネルを見る。

■羅漢寺〜冠石野(かぶしの)
 2016/12/7 PENTAX K-5Us

国道212号線は七仙橋で山国川を渡る。
橋の手前で右に分岐する市道があり、すぐ先で廃線跡の自転車道と合流し、すぐに分かれる。
この区間は、かつての市道を自転車道とし、廃線跡を市道としている。
市道を300mくらい進むと曾木トンネル(冠石野隧道)がある。
耶馬渓鉄道の時代には曾木トンネル、市道になってからは冠石野隧道と名称が変更されたようだ。


左が自転車道、右が廃線跡の市道。


岩を穿って水路が作られ、きれいな水が勢いよく流れていた。

羅漢寺側。

 

冠石野側。内部は素掘りのままである。すぐ近くを山国川が流れている。

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