平家物語への旅 熱田神宮  07/3/27  関連サイト 熱田神宮 平家物語への旅次へ


奥州への途上、牛若丸は兄頼朝の母が大宮司の娘だったという熱田神宮に立ち寄り、源九郎義経を名乗って元服した。
 

別宮・八剣宮。左手に太郎庵椿。
熱田神宮は簡素な造りの神社である。
参道の南端にある正門の鳥居は木製で、大神社とは思えないほど小さな鳥居である。
正門左手には上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)がある。
同じ境内に別宮があり、別宮の前には太郎庵椿が花を咲かせていたが、見ごろをすぎていて、かなり散っていた。
江戸中期の茶人・高田太郎庵がこの椿を好んだことからその名が付いたという。樹齢300年だそうだ。
 
参道を進むと小さな川を渡る。左手奥に美しいフォルムの太鼓橋が見える。
これが二十五丁橋、板石を25枚並べて造られていることからその名が付いたという。
西行が、夏のある日、二十五丁橋のたもとで休息をとり、茶化し半分の歌をよんだ。
 かくばかり木陰すずしき宮立ちを、誰が熱たと名づけ初めけむ
そのことが名古屋甚句に歌われている。
 アーエ宮の熱田の 二十五丁橋でエー アー西行法師が腰をかけ 東西南北見渡して
 これほど涼しいこの宮を 誰が熱田とヨーホホ アー名を付けたエー トコドッコイドッコイショ
 
2番目の鳥居をすぎた所に大クスがある。樹齢千年。
熱田神宮にはクスが多く、神楽殿付近にあったクスは
根元から生えた椿との対照が美しかった。

 
次の鳥居をくぐると本殿前に出るが、その手前に長い塀がある。永禄3(1560)年、織田信長が桶狭間出陣の時に必勝祈願をし、大勝したお礼として奉納した築地塀。
信長塀と呼ばれている。

 

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