平家物語への旅 壇ノ浦  05/1/21 平家物語への旅次へ

元暦2年(1185)3月24日、島から田野浦に向かった知盛率いる平氏は、正午頃、潮の流れの上方に陣取り、源氏軍に襲いかかった。戦いの緒戦は、平氏に優勢で、源氏は潮の流れに逆らって進むに進めず、満珠・干珠島まで後退し、敗色が濃厚だった。

門司、赤間、壇ノ浦は、たぎりて落つる潮なれば、源氏の船は塩に向かいて、心ならず押し落とさる。平氏の船は、塩に逢うてぞ出で来たる。沖は塩の早ければ、汀について、梶原、敵の船の行き違う処を、熊手を打ち掛けて、親子主従十四、五人乗り移り、打ち物抜いて、舳にさんざんに薙いでまわる。

ところが、3時頃になると潮の流れが逆転し、今度は源氏が平氏を追撃し始める。義経は、平氏の船を漕いでいる舵取りや水夫を狙って矢を射るように命じる。舵取りや水夫を射られた平氏の船は、身動きがとれなくなってしまい、彦島の陣地に戻ることもできなくなる。また、陸に流されると、陸で待ち受けている範頼の軍に矢を浴びせられる状態に陥った。こうして源氏が勢いを取り戻し、平氏を圧倒的に攻撃し始めると、松浦党のように平氏軍の中から離脱したり、阿波民部重能のように平氏を裏切る者も出始め、平氏の敗北は決定的となった。

知盛は安徳帝のいる御座船にやってきて、知盛の母である二位の尼(清盛の妻・時子)に、「御覚悟を・・・」と告げた。二位の尼は黙ってうなずき、幼い安徳天皇を抱きしめ、三種の神器と共に入水したのである。

平家物語』には、「尼前、我をば、いずちへ具して行かんとするぞ」と訊ねる安徳帝に、二位の尼は「君は末だしろしめされ候わずや。先世の十善戒行の御力によりて、いま万乗の主と生まれ給えども、悪縁にひかれて、御運すでに尽きさせ給いぬ。まず、東に向かわせ給いて、伊勢大神宮に御いとま申させ給い、その後、西方浄土の来迎にあずからんと思召し、西に向かわせ給いて、御念仏候うべし。この国は、粟散辺土と申して、心憂き境にて候。あの波の下にこそ、極楽浄土とて、めでたき都の候。それへ具し参らせ候ぞ」と応え、念仏を唱えた後、二位の尼は「浪の下にも都の候ぞ」と、安徳帝を慰め入水した、と記されている。

安徳帝の母である建礼門院(清盛の娘・徳子)も続いて入水したが、源氏の兵士に引き上げられた。安徳帝の入水を見届けた知盛は、「見るべき程のものは見つ。今は何をか期せん。」と大碇を差し上げて入水したと伝えられている。


 
  夕暮れの壇ノ浦

 
  御裳裾川があった場所に赤い欄干、手前は国道9号線、
  左に碇をかつぐ知盛の像、むこうに門司港のレトロタワー。


壇ノ浦古戦場の上には巨大な関門橋
 


壇ノ浦古戦場にたつ義経八艘飛びの像
 

平家の一杯水。傷ついた平家の武将が湧水を飲んだ、二口目を飲むと塩水に代わったという伝説がある。

壇ノ浦漁港。
平家の残党が漁民に姿を変えて住み着いたという伝えがある。
 

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