平家物語への旅 彦島  05/1/28 平家物語への旅次へ

島の巡りは三里余もある。平軍が進駐するまでは、島には、まばらな漁夫小屋に海女の姿が見られるぐらいなものだった。それが数千の将士にみたされ、館や柵門ができ、また、文字ケ関や豊前の岸との往来も盛んになりだして、たちまち景観も違ってきた。島の港、福良には巨大な船が威風を示してい、九州の松浦党、山賀党、その他ここへ糧米や兵を送って加勢を 誓う者も収支絶えない。その陣容とここの士気を目に見るものは、平家が衰運とはどうしても思えなかった。(新平家物語「彦島とりで」)
  

福浦港中央部から湾外を見る。遠くに皿倉山が見えている。
壇ノ浦の戦いの頃は、知盛率いる平氏の軍船の白旗が揺れていた。

福浦港から関門海峡への出口付近。左手方向が壇ノ浦。

小瀬戸の玄界灘への出口・小門(おど)海峡付近に「身投げ岩」と呼ばれる岩場がある。
源氏に追い詰められた平氏の女官たちが、この岩から海へ身を投げたと伝えられている。

   

彦島大橋から小瀬戸を見る。右手の岩が身投げ岩


身投げ岩のクローズアップ。

壇ノ浦で入水した翌日、安徳帝の遺体が小門(おど)海峡付近で伊崎・中島組の漁師の網にかかったという。
のちに平氏の女官たちが身を投げた場所付近で、女官たちはここで安徳帝の遺体が揚がったことを知っていたのだろうか。
安徳帝の遺体を安置した場所が小門御旅所で、先帝祭の5月4日に御神幸祭として、赤間神宮から御旅所まで神輿が運ばれる。
御神幸に先立って11時半から御旅所で神事があるというのでたずねたが、御旅所には誰もいなかった。
御旅所での神事は中止となったのか、時刻が変更になったのか分からない。 2014/5/4取材
  

赤間神宮小門御旅所。

中に祭壇があり、ここに神輿が安置されるのだろう。
  

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