平家物語への旅 池の浦 05/2/4 平家物語への旅次へ


四国の屋島から平氏が西へ敗走したのは、1185年2月19日、壇ノ浦の戦いは3月24日。

屋島から壇ノ浦までは、当時の船でも数日の距離である。なぜ屋島から壇ノ浦まで1か月以上を要したのか、空白の1か月といわれている。

『平家物語』には何も記述されていないが、『吾妻鏡』には、瀬戸内海における3合戦として、屋島、壇ノ浦とともに「周防国合戦」が記述されている。

山口県の東南端に突き出している室津半島。柳井市から半島の東に沿って南下すると、穏やかな海に島々が点在する風景に出会える。周防国合戦があったとされるのは池の浦。この池の浦の戦いで、平氏は多数の戦死者を出し、長門彦島へ向かった。
 


道路公園の石碑。池の浦の合戦についての詳しい説明書き。


池の浦神社、別名平家神社。安徳帝をまつっているという。


池の浦には平家ゆかりの石塀が残っている。


池の浦の北、相の浦集落の中世の石垣が残る家。
  

3月22日、壇ノ浦合戦の2日前、池の浦から50kmほど西へ行った大島半島でも源平の戦いがあった。その時、流れ矢が遠石八幡宮の鐘にあたって破損したが、正和5年(1316)から5年かかって、元応2年(1320)に出来あがったと伝えられる。

鐘には、この鐘を鋳造するに至った理由、元応2年の年号、「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」などの文字が刻まれている。

大島半島と遠石八幡宮はかなり離れており、矢がとどくような距離ではないが、源平合戦が生んだ伝説のひとつであろう。





 
 

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