平家物語への旅 串崎海岸 05/1/21 平家物語への旅次へ

源義経によって屋島を追われた平氏は、平知盛の知行国である長門国の彦島で知盛の軍勢と合流する。地元の山鹿党、菊池党、松浦党などの水軍が知盛の支配下にあり、関門海峡の制海権は平氏が握っていた。

屋島で伊予水軍と、平氏を裏切った熊野水軍を味方にした義経は、
元暦2年(1185)3月22日、関門海峡に向けて出陣した。源氏の軍勢三千余艘。義経は、関門海峡の入口串崎沖の満珠・干珠の島に船を集結させた。ここから平氏の本拠地彦島までは約1里 (4q)である。

一方、彦島の知盛率いる平氏は一千余艘、24日の未明に田野浦に達し、源氏と隔てること約5丁(500m)まで接近した。正午頃、潮の流れの上方に陣取った平氏は源氏に襲いかかり、源氏は潮に流されて進めず、満珠・干珠まで後退する。しかし、午後になって潮の流れが逆になり、平氏は壇ノ浦へ追い詰められる。
  
源氏の船は三千余艘、平家の船は千余艘、唐船少々あひ交じれり。さるほどに、元暦二年三月二十四日の卯の刻に、豊前国田浦、門司の関、長門国赤間が関、壇浦にて、源平の矢合はせとぞ定めける。門司、赤間、壇浦は、たぎりて落つる潮なれば、源氏の船は心ならず、潮に向いて押し落とさる。平家の船は、潮に追うてぞ出で来たる。


串崎海岸から見る満珠島(右)、干珠島。筆者お気に入りの風景。
海岸線には溶岩が冷えて固まったごつごつした岩があり、昔ながらの自然が残っている。
  

満珠・干珠島の原生林は天然記念物。満珠島には、昭和9年建造
の満珠島灯台が建っている。800年前、このあたりは、源氏の白
旗を掲げた船でびっしりとうずまった。
  

壇ノ浦から満珠・干珠島方向を見る。左手に満珠島が小さく見えている。
右手が門司の田野浦、壇ノ浦の戦いは田野浦沖からはじまった。
  

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