平家物語への旅 門司もじ 平家物語への旅次へ

NHK大河ドラマ「義経」に刺激されて、このコンテンツ「平家物語への旅」を立ちあげたのは2005年だった。

あれから7年、2012年の大河ドラマは「平清盛」。再び刺激を受け、まだ見ていない平家伝承地をたずねてみたくなった。
年度初めにあたり、現在居住している北九州市門司区内の平家ゆかりの地をたずねた。
 
■殿墓(とのばか)/門司区黒川東一丁目  2012/1/10 K20D
八木田前バス停付近に「殿墓」の標識があり、住宅の中の細い道を北へ進む。
途中たくさんの番犬にほえられるが、紐につながれているので、噛みつかれる心配はない。

18基の五輪墓が並んだ殿墓は竹林の中にある。
寿永4年(1185)、平家の武将平休意(たいらのやすおき)は、宇佐八幡宮に戦勝祈願に行き、その帰途で平家一門が壇の浦で滅亡したこと
を知る。源氏の追討を恐れた一行は、黒川に隠れ棲んで姓を八木田と改め、田畑を耕して暮らした。
この墓は、平休意一族の墓とされている。
    

途中にある八木田家。祖先平家…という石碑がたっていた。
他にも八木田の表札を見かけたが、平家の子孫なのであろう。

殿墓への案内板。
 


    
■海御前(あまごぜ)の碑/門司区大積水天宮 2002/1/10 K20D
大積東交差点から南へ約300m、右手に天疫神社の鳥居が見える。神社の隣に水天宮があり、海御前の碑がある。

壇の浦の合戦の時、平教経(たいらののりつね)の奥方である海御前は、安徳帝の最後を見届けたのち入水した。大積の浜に流れ着い
た海御前の遺体を村人たちは手厚く葬った。壇の浦で亡くなった平家は、武士は平家蟹に、女官は河童に化身したといわれているが、
大変な女丈夫だった海御前は河童の総帥として河童たちを支配したという。
  

海御前の碑。右手が天疫神社、正面が水天宮。

河童の像。
   
■地蔵の森の五輪の塔/門司区白野江四丁目 2002/1/10 K20D
白野江郵便局がある三差路から北へ600mほど進むと、
右手に説明板と五輪塔がある。

壇の浦の合戦で敗れた平家落人の墓と伝えられている。


白野江の網の鼻付近から南、蕪島方面を見る。
ここは壇の浦から10kmほどのところ、壇の浦を逃れた平家の落人たちが流れ着いたのではないだろうか。







  
 
  

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