平家物語への旅 屋島 08/6/2 *istD 平家物語への旅次へ


平氏が軍船を隠したという「船隠し」の浜。五剣山の麓にあり、正面に屋島が見える。

   

一の谷の戦いに敗れた平氏は、かつて陣を構えていた屋島へ逃れる。平家追悼の命を受けた源義経は、大坂から徳島へ渡り、大坂峠を越えて屋島へ迫った。

3日間の攻防の後、敗れた平氏は西海へと敗走する。那須与一の扇の的の名場面を生んだ屋島、義経は、平泉以来の腹心の家来である佐藤継信を失う。

与一、鏑を取ってつがひ、よっいてひやうど放つ。小兵といふ条、十二束三伏、弓は強し、鏑は浦響くほどに長鳴りして、たず扇のぎは一寸ばかりを射て、ひふっとぞ射切ったる。鏑は海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける。

春風に一もみ二もみもまれて、海へさっとぞ散ったりける。みな紅の扇の日出だしたるが、夕日の輝いたるに、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬ揺られければ、(以下略)

   

総門跡。
六万寺を安徳帝の行在所としていた頃ここに門を構えていた。

義経弓流し跡。このあたりはかつては海だった。
平氏の軍船に近づいた義経が敵兵の熊手によって弓を落とされた。


祈り岩。
那須与一が扇の的を射る時に「南無八幡大菩薩」と祈った。


駒立て岩。満潮時には沈む。
那須与一がこの岩の上に馬を止めたといわれている。


屋島談古嶺から檀ノ浦の古戦場を見る。正面の小山の向こうが船隠し、右端奥が那須与一扇の的の海。
   

安徳天皇社〜安徳帝の行宮跡
幼帝安徳は屋島での日々をここで過ごした。

血の池(正式名は瑠璃宝の池)。
合戦のときにここで刀を洗ったため池が真っ赤になったという。


四国霊場第84番札所屋島寺、仁王門から四天門を見る。
天平勝宝6年(754)鑑真和上の開基、この寺も源平の戦いを見た。


源平ゆかりの場所には「げんぺい」の旗が立っている。
 関連サイト
源平屋島合戦ガイドマップ


平家物語への旅次へ