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秋月街道

松崎〜宿場町の遺構 2003.7.2
E-100RS
    
松崎街道は、有馬豊範が寛文12年(1672)松崎城に入るに及んでつくられ、延宝3年(1675)には従来の往還である久留米より横隈への宝満川右岸を通る横隈街道にかわって参勤交代道路となった。この街道は、北は山家宿、南は府中宿にいたる江戸時代の天下道(幹線道路)である。

この宿場の東北と西南の出入り口には、堅個な石塁、その上に物見櫓が構えられた。北の構口は通称「かめぐち」と呼ばれていたが、構口には、番士が常駐していて、改札に従事し宿場への出入監視とその警備にあたった。明治5年(1872)宿駅廃止にいたる約200年間、構口の営みは続いた。
〜北構口の小郡市教育委員会の説明板より
 
 松崎宿北構え口の遺構(小郡市指定史跡)


山隈の筑前・筑後国境石。


松崎往還に面してたつ福永家。


下岩田の追分石。


本陣跡にたつ恵比寿の祠。


本陣裏門。


南構え口。